KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

国立大学の経営感覚

大学公開講座エスペラント講座が終了。たった一人の受講生であった。先週は痛風で休講にしたので、また日を決めて埋め合わせをする予定。

しかし、よく考えると、たとえ受講生が一人であっても開講するというのは、国立大学ならでは、と言えるかもしれない。普通の講座であれば、最低でもたとえば5人の受講生が集まらなければ中止になるところだろう。なぜならば、講師への謝礼や部屋の使用料などのコストを考えれば、ペイしないことが明らかだからだ。

ところが、一人でも受講生がいれば開講するし、講師謝礼は規定通り出る(それほど高いものではないが)。つまり赤字覚悟でやっている。その赤字は税金で埋め合わせされる。うーん。いや、何も、こうした公開講座のすべてを採算ベースで考えるべきだということを言っているのではない。しかし、一度は普通の経営感覚で見てみる、ということが必要なのではないか。その上で、採算を度外視しても開催する価値があるかどうかということを再考してみてもいいのではないか。

と、自分のケースのことでありながら、そんなことを考えてしまった。

国立大学に欠けているものは経営感覚だろう。経営感覚というのは何かと問われれば、それは、議論すべきことと即断即決で進めていくことをすばやく切り分けるということ。議論すべきことはあくまでも理詰めで議論すること。それは研究者であれば、自分の専門分野で当たり前にやっていることなのだが、大学の経営ということになるとその技能は明らかに「転移」していない。