KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

行動分析学会@西南女学院大学:刺激とヒントと

小倉にある西南女学院大学で開かれた、行動分析学会に参加する。

行動分析学会は会員になってから初めての大会参加だ。学会そのものは、口頭発表が並行プログラムなしでできるほど小規模であるが、若い研究者が多い。いい感じだ。一方、大御所の研究者も、その中に混ざって一般発表をしている。こういう雰囲気の学会は、いい。きっとこれから着実に発展していくだろう。

口頭発表を聞く。基礎研究と応用研究は明確に分離されているけれども、常に両者の交流が意識されている。それは行動分析学の「公理」(あるいは指向性)によるものだろう。つまり、過去よりも現在・未来の重視、行動の具体的記述を基礎とする、実践的であることといった特徴だ。常にラディカル(急進的/根本的)であること。研究発表を聞いて刺激を受ける。基礎的なことをラディカルに考えることによって、たくさんのヒントを見つけることができる。

口頭発表を聞いてのメモ。

体重を減らすことはできる。なぜなら減ることそのものが強化的だから。しかし一度適正体重になった後は、それを「維持」する事を続けなくてはならない。維持は強化的ではない。これをどう工夫するのか。

CAI学習は、机上で個別に指導するよりも効率がいい。そんな当たり前のデータをきちんと出すこと。そして、CAI学習をふつうの学校でのテストに転移させることも視野に入れている。

続いて、少し前までFred Kellerスクールで働いていたJanet Twymanさんの講演をきく。

スキナーの言語行動理論を元にして、どのようにしてコミュニケーション技能を教えるかということを実践、研究している。スキナーの言語行動理論というのは、タクト(記述)やマンド(要求)、イントラバーバル(語の連なり)、オートクリティック(文法・統語)というような独特の理論だ。それは言語学的なものとは違い、たとえば「単語はその機能によって定義される」「単語の意味は刺激性制御と随伴性にある」というような定義をする。

この理論に従った言葉の学習は、次のような段階で進められる。

  • エコイック(音声→音声)
  • 書き写し(文字→文字)
  • 書き取り(音声→文字)
  • イントラバーバル(徐々に複雑な文にしていく)
  • オートクリティック(長いマンド、タクト/語順を変えることで意味を変える)

これによって全く新しい言語の教え方が可能になるような気がする。文法中心でもなく、語彙中心でもなく、会話中心でもなく、コミュニカティブ・アプローチに近いと言えないことはないけれども、理論的裏付けがあるだけに一本筋が通っている。

午後は、私も話題提供をしたシンポジウム。

PSI授業のことを30分で話す。5人から質問がでたが、時間不足で全部には答えられず。しかし、実に示唆に富んだ質問だった。これこそが今回の最大の収穫だろう。次のような質問。

島宗さんからの質問。PSIが表舞台から消えたのは、認知主義の台頭のためではなく、教育がPSIをやることに対する強化がなかったり、あるいは準備などのコストがかかることが原因だろう。特に、アメリカでは「PSIコース」と名乗るためには、システム的な条件を満たしている必要があり、そのためにはコストがかかる。

関連して、佐藤方哉さんのコメント。PSIが行われなくなった原因をKellerから聞いたことがある。それは、当時はCD-ROMもないので、ラーニングセンターに集まってやるわけで、そのために、教員も学生も負担が多かった。また、PSI方式の授業では、大部分の学生が好成績を取ってしまうので、それも不評であった一因だろう。

島宗さんからのコメント。PSIとしての名前は出なくなったかもしれないが、行動分析的な知見は、個別のテクニックとして広まり、それは教員が自分の授業でそれぞれに導入している。

(私が、PSIは積み上げ型の知識、スキルを獲得する科目に適しているといったことに対して)PSIに向き不向きがあるということはなく、教授目標が決められれば、すべての科目でPSIが可能なのではないか。(それに対して)教授目標を達成するために、他の学生とインタラクトするような科目(たとえばパブリケーション・アプローチによる作文教育)では、そもそも個別教育が不可能になるので、そこではPSIは不適だ。

このシンポジウムは、午前中講演したJanetさんも聞いてくれていた。シンポジウムが終わると、島宗さんとともにやってきて、「PSIは作文教育には不向きだといっていたけれども、どうしてか」という質問をされた。私の答えは、「個別にできる部分は確かにあるけれども、作文教育の最終段階で、読み手に読んでもらったり、コメントをもらったり、それで書き直したりするような作業を、授業コミュニティの中でおこなうような部分は、PSIではできない」というもの。しかし、もう少しうまく英語でコミュニケーションできないと、こういうときに不自由だなあ。やりなさい、ということか。

他にも重要な質問。

PSIはCAIではないと言われたが、小テストやセルフテストを入れてフィードバックしてみてはどうか。ノートを自発的に取るという事実は、ノート取りをオペラント行動として表出しているのではないか。つまり、セルフテストがないのでなんらかのフィードバックを得たいがためにノートを取っているのではないか(←これは鋭い。いかにも行動分析的な考察!)。

ともあれ、この学会に参加して良かった。たくさん得るものがあった。シンポジウムに呼んでいただいた長谷川さんに感謝したい。来年は日本大学だそうだ。