KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

なぜ難解な文章が存在するか?

たまたまニュースステーションに出ていた大江健三郎を見る。

「大人に向けて書くのと、子供に向けて書くのはどちらが難しい?」と聞かれていた。それに対して直接は答えないで、次のように言った。

「私は大人に向けて書いてきたというより、自分に向けて書いてきた。だから文章が難しくなってしまう」

これを聞いてすごく納得。

そうなんだ。読んですぐ理解できないような、難解で複雑な文章を書く人というのは、読者にではなく、「自分に向けて」書いている人たちなんだ。もちろん自分が書いたものなんだから、それがいくら難解で複雑であっても理解できる(はず)。むしろ、その文章が難解で複雑であればあるほど、「こんなに高度なものを理解できる自分って奴は、ひょっとするとすばらしい奴かもしれない」と思えるわけだから、本人にとっては気持ちいいことなのである。難解な文章ばんざいということになる。

「自分に向けて」書いている人たちがいなくならない限り、難解な文章は生産し続けられるわけだ。