KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ドミナント・ストーリーとカウンセリング

教育心理学会のシンポジウムで、勉強になったことが「ドミナント・ストーリー」ということだ。つまり、インタビューや感想文を書いてもらうと、たいていの場合で出てくるようなストーリーということ。ありふれたストーリーということだ。

それは、こう聞かれたら、こう答えようという形で保持されているものだから、その人個人の本物のストーリーでは、おそらくない。したがって、本物のストーリーを求めるための、一歩深いつっこみがアクションリサーチやフィールドワークのポイントになるということだ。

しかし、実際の研究では自由に感想を書いてもらって、それをカテゴリーわけしてカウントすることによって、ドミナント・ストーリーを見いだそうとする。つまり、カウントの多いドミナント・ストーリーを示すことによって、その対象を記述しようとする。実際、私のトライアド・インタビューに関する研究は、ドミナント・ストーリーにどんなものがあったかをデータ化することで、量的データに替えようとしている。

しかし、本当ならそうしたドミナント・ストーリーは、アーチファクトに過ぎない。頭の中で構成されているという意味で、それはアーチファクトなのだ。そうしたドミナント・ストーリーを捨てて、次に何が出てくるかを探らなければならないはずだ。つまるところ「でも、よく考えると、自分にとってはこんな意味があったように思えるのですよ」という言葉で始まるストーリーを聞き出さなくてはならない。

初めは、ドミナント・ストーリーは平均値みたいなもので、とっぴなストーリーは分散の大きいところ、というように考えていたのだが、そうではない。ドミナント・ストーリーも、とっぴなストーリーも、同じように「浅いストーリー」なのだ。同じように頭に保持されているアーチファクトだ。そうではなく、その人の体験と内省に基づいたストーリーを聞き出す努力が、つまりアクションリサーチなのだろう。

初期のインタビューをすべて捨て去る勇気が必要だ。

ああ、これはカウンセリングに似ている。