- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2002/04/06
- メディア: 単行本
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- 学校での暴力を根絶するさしあたり一番効果的な方法は、学校からいっさいの「人格教育的要素」を排除することである。/限定された技術と情報を「オン・デマンド」で伝え、習う側には適切な対価と必要なルールの遵守だけを要求するようなビジネスライクな学校。そこでなら、どのような暴力事件も生じないであろう。
- 今の学校教育における「教育崩壊」は、要するに、知識や技術を「学ぶ」ためには「学ぶためのマナーを学ぶところから始めなければいけない」という単純な事実をみんなが忘れていることに起因する。学校というのはほんらい何よりも「学ぶマナーを学ぶ」ために存在する場所なのである。
- だから、極論すれば、大学教師であるためには「バカであること」は障害にならないのである。「バカであることを恥じている」だけで十分なのである。なぜなら、学びの場を駆動しているのは、「知そのもの」ではなく「知への愛」だからである。
- 「尊敬なんかされなくてもいいよ。お金があれば」とこたえる若い人がいるかも知れない。だが、それは短見というものだ。/「他者からの尊敬」なしに人間は愉快に生きることができないというのは社会生活の原則である。/もちろん、ただ食べて生きていけるなら、べつに「愉快」じゃなくてもいいという人もいるだろう。/「誰にも迷惑かけてないんだから、いいじゃない」/おっしゃるとおりである。/ただ、そういう人には、この先どういう生き方を選ぼうとも、「他人の理不尽な欲望にこづきまわされて暮らす」という未来しか待っていないと私は思う。
- 誤解しないで欲しいが、私は「人間的に成熟している人間を採用せよ」といっているのではない。「人間的に成熟しているように『見える』人間を採用せよ」と言っているのである。『人間的に成熟しているように見せる」のはまるごと知的で技術的な問題であり、努力さえすれば誰にでもできる。
- 学術研究論文がまず先行研究批判からはじまるのは、『自分の位置を知る』ことが、おのれの「オリジナリティ」「唯一性」を知るためのたった一つの方法だからである。