KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

はせぴぃ先生からコメント

先日の読売新聞の記事に対して、行動分析学のはせぴぃ先生よりコメントをいただいたので、転載させていただきます。ありがとうございます。

日記の場合、「嫌子」は「つけなければ」というプレッシャーなど。とあるが、この場合の嫌子とは何を意味するのだろうか。むしろ、

  • 365日分の日付入り日記の場合は、そのすべての空白を埋めること(=完成)が好子であり、義務的ではあるが、好子消失(=空白ができる)阻止の随伴性によって長続きする場合もある。
  • いっぽう、日記に空白ができると、「完成」という累積的な好子が随伴しなくなる。このことによって執筆が消去されてしまうと考えるべきであろう。
  • 「日付のない日記帳を使う」というのは、「完成」という累積的な好子の随伴を別の形で実現したものと考えられる。
  • いずれにせよ、日記執筆を長続きさせるためには、「執筆」という具体的で能動的な行動に対してどういう結果が好子になるのかを詳しく分析する必要がある。

同じ白紙ページにしても、これからつける日付の空欄は日記を書くきっかけになりますが、過去の日付の空欄は日記を書く上で嫌子となりませんか? まだらの日記帳を見ることで、日記を書く気持ちが失せる(その結果止めてしまう)としたら、嫌子として働いているといってもいいように思うのですが。