KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

着ぶくれた知識や経験を一度捨て去れば研究の楽しさがわかる

教育工学会の研究会が京都大学であったので、それにひっかけてeスクールゼミ生のために、京都スクーリングをした。なにせ、今年のeスクール3年生は7人中過半数の4人が大阪に住んでいるので、その重み付けでの配慮をしなければいけないo(^▽^)o

春学期も最終コーナーにさしかかっていて、7月21日のワールドカフェでの発表も目前なので、各自の研究の分析とまとめ方を中心にアドバイスする。

3年ゼミの春学期は、完全に研究の「型」を身につけるコース設計にしてある。通学生と社会人学生(eスクール)は、まったく同じコースで進んでいくことになる。両者を比較すると、興味深い対照が見られる。

研究トピックを決めるという段階では、明らかに社会人学生の方が速い。それは、自分でこれを研究したいというものを最初から持ってやってくるからだ。一方、通学生は、そもそも何を研究したいのかというところからスタートするので、どうしても遅くなる。

逆に、後半の調査の設計と実施の段階になると、通学生の方がスムーズになる。というよりは、社会人学生があまりにもトピックへの思い入れが強すぎるので、こちらが用意した「研究の型」を素直に着てくれないということにある。すでに、「現場での実績」や「自分なりの努力」をしてきているので、「着ぶくれ状態」なわけだ。一回、それを脱いでもらわないと、先に進めない。

「着ぶくれた知識や経験を一度捨て去る」=「脱学習」ということか。これをしてもらえば、「何かを研究する」ということがいかにシンプルで面白いことなのかということがわかるだろう。そして先人たちが開発してきたさまざまな研究法を学ぶことがいかに楽しいかということがわかるかもしれないな。