KogoLab Research & Review

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佐伯胖・松原望編『実践としての統計学』

実践としての統計学

実践としての統計学

 統計学は研究者にとってかなり憂鬱の種である。とりわけ人間を扱う科学者にとっては、なんのことやらわからなくても得られたデータに対して仮説検定をしておかないと論文査読を通してもらえないというところがある。という私自身も、査読の回ってきた論文が、平均値だけしか出していないと「標準偏差も付けてください。できればt検定をやっておいたほうがいいかも」というようなコメントをつけて返すこともある。本当にt検定でいいのかどうかという議論はめんどうなのでしない(実はよくわからない)。こうして、論文は仮説検定してあるのが当然(そうでなければだめ)というような風潮に加担することになる。

 このような風潮の中では、「データに対してはとりあえず仮説検定をやっておけ」という態度が形成されるのは自然だ。そうして「なぜ仮説検定をするのか(Why)。そもそも仮説検定とは何か(What)」をすっ飛ばして、「仮説検定のやり方(How-to)」だけに固着することになる。さまざまな統計パッケージが流通していて、パソコンで簡単にそれができるようになってきたという環境もHow-to重視を助長する。

 佐伯胖松原望編『実践としての統計学』(東京大学出版会, 2000, 2600円)はHow-toやマニュアルではない、WhatとWhyを説明する統計の本として書かれた。そしてそれは成功している。おもしろいのである。数式がたくさん並ぶところはやはり面倒だが、それをとばして読んでもおもしろい。多くの知識と技能がHow-to化・マニュアル化の方向に進んでいく現代において、もう一度What/Whyに立ち戻る、つまり、(比喩的な意味の)哲学に立ち返ることが必要だという編者の着眼点はすばらしいものだと思う。以前にアメリカで出されたマンガの統計学の本(ゴニック&スミス『確率・統計が驚異的によくわかる』白揚社, 1995)もやはりWhat/Whyを重視していた。

 以前の日記で「猿でもわかる因子分析」の教材を作りたいということを書いたことがあった(99/12/03の日記)。第2章「データを読む――相関分析、主成分分析、因子分析の意味をさぐる」を読むと、ああこれだ、と思う。これで十分なのではないか。

 第4章「仮説の統計的評価とベイズ統計学」では、現在スタンダードになっている仮説検定といえども欠点があり、限界があるということを確認する。そして伝統的な仮説検定に代わるベイズ的アプローチについて知る。ベイズ確率については、すぐに了解というわけにはいかなかったが、少なくとも仮説検定を絶対視してしまうような態度を崩すには十分だ。

 5人の著者がそれぞれ1章ずつを書いているのだが、ほかの章も面白いし、ためになる。これまでマニュアルとしてやってきた統計処理の手続きの裏にこういう意味があったのだということを、発見することが面白いのである。

 私の担当している統計学もWhat/Why重視でいきたいと思うのだ。その教材はWebで公開しているが、しかし、やはりHow-toになってしまうのである。What/Whyを解説するためには、その本質を深く理解していなければ書けないのだということがわかる。How-toを書くのはそれよりも浅いレベルである。教える人は深〜く勉強しなくてはいけないのだ、という当たり前のことを確認して、ちょっとつらい気持ちになる。