3月25日の日記で、目の前で聴講料4200円が払われるのを見ることのコワさについて書きました。それについて、沖さんからメールをいただきました。そのやりとりを、沖さんのご了解を得て、紹介させていただきます。
沖さんからのメール
向後先生、ご無沙汰しております。早稲田の沖です。
25日づけの日記を読みつつ、(まさに)ちょっと考えたことを書きます。
4200円という会費を払ってきいていただくことへの違和感、実は私も時々考えます。でも別に会合で話しているからではありません。大学での授業も基本が一緒だからです。
1駒(2時間)に対して私立大学の学生は4000円近く支払っていることになります。もちろん授業以外に支出されるはずの部分が少なくないわけですけどね。
90分の授業で、学生が知らないこと、おっと思わせることをどれだけ伝えられたかを考えると、今でも時々不安になります。学生一人が支払う学費に見合うか、という観点とともに、自分が受け取っている給与に見合う仕事をしているか、という観点も重要かもしれません。
沖
私からのメール
沖さん、メールありがとうございます。
以前に、未来日記のことでメールいただきましたね。こんな風にきちんと読んで下さる人がいるということが、Web日記を書く上での「コワさ」といえるかもしれないです。もちろんそれは私にとってものすごくいいことなんです。
さて、講演料4200円のことですが、沖さんのいわれるように、大学の授業もそうなんですね。実は、新入生向けの基礎ゼミでそういう話を私自身もするんですよ。「計算すると、一こま5000円くらい払っているんだよ」って。でも、ひるがえって考えてみると、私自身がそのコワさを感じているかというとこころもとない。まさに沖さんのいわれるとおりです。
アメリカの大学では授業ごとにチケットを払うというシステムがあるとききます。また、英会話学校ではチケットを取っているケースもありますね。この方式は毎回、支払額を思い出させてくれるという意味がありますね。
どんな方式を取ろうとも、お金と時間を払って聞きに来てくれる人がいて、何かを提供する人がいるということですね。それが実はすごいことなんだということ。そのことを目の前で4200円を払う人たちの姿を見て、稲妻のように気がついたというわけです。
頭ではわかっていても、現実に出くわして、一瞬にすべてを理解するというのは少し違うようです。おもしろいですね。
このこと、後日の日記で取り上げてもいいですか?
ちはる
沖さんからのメール
向後先生
まず、僕のメールについてはご自由に活用していただいて構いません。特に日記をかかれている方へのメールは、本来インタラクティブなもので、相互に公開されることを意識して書かなければならない、という意見をもっておりますので。ネット上の匿名性という考え方に対して、実は私あまり好意的ではないのです。
それはともかく、教育社会学、あるいは教育の経済学といった立場からみると、学校教育自体が税金なり学費なりといった資本投下を行い、それに対する何らかの対価を得るための経済活動、ってなことになりかねないということを、改めて思います。こんなこと素面で授業で言うと、3分の2ぐらいの学生から総すかんをくうのですが。
さらに思い出すこと。ある大学で非常勤をしていたとき、2000円の教科書を指定したところ、「高すぎる、何を考えているのか」という抗議をうけ困惑しました。授業1回分の半分なのに、と思ったのですが。本に出すお金はないということなのでしょうね。
つれづれなるママに書かせていただきました。
沖