KogoLab Research & Review

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島宗理『インストラクショナルデザイン〜教師のためのルールブック』

インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック

インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック

教育工学もインストラクショナルデザインも、その土台は行動主義心理学(今は行動分析学)によって裏付けされている。その行動分析学者による「インストラクショナルデザイン」の本だ。インストラクショナルデザインを学ぼうというすべての人は、まず最初にこの本を読むのがよいだろう。

なぜ「教育」ではなくて「インストラクション」というコトバを使っているのか。ある種つかみどころのない「教育」と、きっちりと定義づけられた「インストラクション」とはどこがどう違うのか。適切なインストラクションを行うには具体的にはどうすればよいのか。以上のことが、まさに適切なインストラクションによって学ぶことができるのがこの本の特徴だ。

もちろん、インストラクショナルデザインはこれだけで終わりではない。取り上げられているインストラクションの事例は(当然だが)行動分析学によくフィットしたものに限られている。しかし、高次認知過程や動機づけ、状況的学習論といったその後の心理学の展開が現在のインストラクショナルデザインに及ぼしている影響も大きい。「インストラクショナルデザイン」をタイトルにした本も徐々に増えてきているので、次のインストラクションを論じた本が待たれるところだ。(って私が書けばいいのか)

同著者による『パフォーマンス・マネジメント』(米田出版)もid:kogo:20000423で取り上げた。

熟達訓練(fluency building)では正答率が100%に達した後、正答スピードがある程度に達するまで練習するのだ。つまり、分かった、できただけでは不十分で、素早く分かり、テンポよくできるようになるまで練習を続けるのだ。彼らは、こうした熟達した技能や知識は維持されるし、妨害にも強いし、応用も利くようになるとしている。

教えたことはすべて評価すること/これもほとんど守られていないルール。その原因はテストの回数が少なすぎることにある。学期ごとに1〜2回しかテストをしなければ、そしてテストの実施時間が限られていれば、当然、すべての標的行動はテストできない。/この問題を解決するためには、テストの回数を増やすことが最も合理的である。

残念なことに、パソコンやネットワークなど、ハードウエアやソフトウエアが発展するにつれ、そもそも学習の原理を活用して、学びを最適化するというインストラクショナルデザインの考え方はおざなりにされてしまった。インストラクショナルデザインの考え方がおざなりにされれば、当然のごとく、インストラクションの効果は低下する。こうして、学びにコミットしていないプログラムが数多くつくられ、ティーチングマシンもCAIも当初の期待を大きく下回って、教育の革命には至らなかった。悪貨が良貨を駆逐してしまったのだ。現在、流行の兆しをみせているeラーニングやWBTもおそらく同じような道をたどるのではないだろうか。

インストラクショナルデザイン>では、何をどこまでどのように教えるかについて、常に明確で、できるだけ具体的に定義する。これに対し<通常の教育>では、目標をできるだけ曖昧にする傾向がある。//考えなくてはならないのは、目標を曖昧にすれば、それ以外の学びが促進されるのか?ということである。このような主張を指示する研究も見あたらない。