KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

佐藤俊樹『ノイマンの夢・近代の欲望』

これまで膨大な数の「情報化社会」が語られてきた。……簡単にいえば、「電脳社会論」か「メディア社会論」か、どちらの系列に入るのである。/電脳社会論というのは、国家でも企業組織でもいいが、ある社会の「頭脳」をコンピュータシステムで置き換えることで社会が変わっていく、という議論である。……/それに対して、メディア社会論というのは、社会の「神経」=コミュニケーションの流れをコンピュータシステムに置き換えることで社会が変わっていく、というものだ。

従来のメディア社会論や電脳社会論は図(情報技術→「個人」の誕生/解体)のように考えてきた。情報技術が<個人>を誕生させたり解体したりすると考えてきたのである。だが、それは見かけ上の関係に過ぎない。本当は図(社会のしくみ→情報技術の使い方 | 社会のしくみ→「個人」のあり方)のように、社会そのものの大きな変化がその背後にあって、それが情報技術の使い方と<個人>のあり方をともに決めているのである。