KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

卒論原稿をチェックする

ここのところ、卒論の原稿を読んでいることが多い。電子メールのおかげで、何十キロバイトもあるファイルが手軽に送れるため、チェックしておいてください、というわけだ。最初は、卒論原稿のファイルを印刷して、赤をいれていたが(ということは自分が旧人類であることの証明だが)、だんだんページ数が増えてくると、印刷するだけでも大変になってきた。

ところで、今年の卒論生は原稿をチェックしてもらうのに熱心だ。以前は、一度も原稿を見せに来ないで、提出してしまった人もいたのになあ。まあ、これはこれで指導教官にとってはスリリングな出来事なのだが・・・

ページ数が増えてくると、印刷するだけでも大変だ。そこで、コンピュータスクリーン上で赤をいれていこうということになる。こうすると、紙の消費が少ないということ以外に、便利な面もある。きまり文句をライブラリ化しておくのはどうだろうか。たとえば、「ですます体の混用」や「有為差ではなく、有意差」からはじまって、「もっと具体的に」、「分析方法がおかしい」、「だから何なんだ(これはキツいかな)」などの指摘をコピー&ペーストできればらくちんだ。

読んでいて気がついたことは、形式が完璧でないと、内容が頭にはいってこないということだ。つまり、図のタイトルが図の下ではなく上に置かれていたりすると(これはしきたりにすぎなんだけどね)、どうにもそれが気になって(すぐ赤をいれるわけだが)それ以降、内容に注意が集中できないのだ。だから、誤字があるともうそれだけでだめ、読む気がそがれてしまう。だいたい内容が信頼できなくなってしまう。だからまず、誤字脱字をチェックし、形式を完璧にするべきだという警告は正しい。形式が完璧でないものは、まず読まれないと思った方がいい。形式についての赤入れがなくなってから、はじめて内容についてコメントしてもらえると考えるべきだろう。だからこそ形式のチェックが重要なのだ。さらに、だからこそ、私が卒論のテンプレートファイルを提供しているのだ(そのなかには、ちゃんと図のタイトルは下に、と書いてあるのだ)。

しかし、「そんな形式中心主義はいやだ、私は内容そのものを見て欲しい」と主張する若者もいるだろう。きっと昔の私もそう言ったことだったろう。しかし一度読む側を体験するとそれがいかに身勝手な意見であるかが身にしみてわかってしまう。そういう人に提案したいのは、原稿を清書の形式ではなく、プレーンなテキストのベタうちでメールする事だ。つまり、メールの本文にペーストする形で送ることだ。図表はそれだけまとめて、紙に印刷してもってくればいい。幸い、図表は一度適切に仕上げれば、ころころ変更することはまずない。この方法は、いわゆるドラフト(下書き)をまず書く、ということになる。そういえば、卒論生はドラフトを書いている様子がない。いきなりぶっつけで書いているのだろうか。