KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

外山滋比古『人生を愉しむ知的時間術』

外山滋比古の『人生を愉しむ知的時間術』(PHP文庫)という本を読んだ。僕は外山のエッセイは大好きだ。その中でも一番のお勧めは『思考の整理学』(ちくま文庫)ですのでよろしかったらどうぞ。それはさておき。

さて、その中で、寺田寅彦は原稿依頼を受け取るとすぐに書き始めた、ということが紹介されている。そうやって書き上げてしまった原稿を、締切直前になって手を入れて依頼主に渡していたのだという。すごい人がいたもんだ。ちょっとまねができないな。まあ、例外的なんだろう、と自分を慰めて読み進めると、外山先生の決めぜりふが、すごい。

仕事はのばぜはいくらでものびる。しかしそれでは死という締切までにできる原稿はほとんどなくなってしまう。

おおっ、そうか、そうきましたか。死という締切ね。人生は締切付きで、かつ締切厳守のものだったんだなあ。原稿やら、頼まれごとやら、卒業論文修士論文やらの締切をひとつひとつ過ぎるたびにぼくらは少しずつ死んでいくんだなあ。ちょっとずつ死んでいって、役に立つか立たないかわからない原稿が残っていくんだなあ。なんだかしみじみするよね。締切という言葉から感じられる一種の切なさはこんなところから来ているのかもしれない。

われわれの一日は小さな雑誌を作るようなものではないか。

日記を書くのもいいが、それは終わってしまったことの記録だ。日記をつけるのと同様、あるいはそれ以上に貴重なのは、一日という「自分の雑誌」の予定を立てることだ。一日を始めるに当たって予定を立てる。日曜日の夜に次の週のプランを立てる。月末には翌月の計画を策定する。そして、年末になったら来るべき年をいかにするかの予定を立てる。

ぼくは外山滋比古にならって毎日の始まりにその日にやりたい仕事をリストアップして、それぞれの仕事にどれくらいの時間がかかったかをメモしておくことを始めた。驚くべきことに、いったんやり始めた仕事にはそれほどの時間はかからないのである。かといってあっという間に終わってしまうわけでもない。つまり、それぞれの仕事にふさわしいだけの時間がかかっている。これは考えてみれば当たり前のことだ。しかし、仕事はいったん始めてしまえば、それなりの時間がかかった末に、必ず終わるのである。これはすごい発見だ。

もうひとつの発見は、仕事をしていない時間がけっこうたくさんあるということだ。何をしているかというと、それはやるべき仕事を思い出している時間であり、あるいはどの仕事をしようかと迷っている時間であり、あるいは、いったんとりかかろうと決心したのにもかかわらず、ぐずぐずしている時間なのであった。つまり、こうした時間を短縮すれば、能率良く仕事が片づいていくことを発見するのだ。一日の終わりに、仕事リストを見返して、努力の印として完了の線が引かれている項目が並んでいるのを見るのは、ちょっといい気持ちである。