KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

○○式整理法

 私は、発想法や整理法、手帳の使い方などについて書いた本を読むのが好きだ。「知的○○○」というタイトルの本を見つけると、とりあえずは手にとって中を見ずにはいられない。そういう本には、考えたり、書いたりすることについて、何かしら著者の工夫が織り込まれていて、それを読むのが楽しいのだ。

 そういった本では、自分のオリジナルの方法について、自分の名前を冠した名称を付けることが多い。たとえば「山根式袋ファイル」とか、古くは「KJ法」(川喜田二郎)というのもある。しかし個人名を冠した名前が生き残る確率はかなり低いようだ。特にKJ法以降、イニシャルを冠した名前がたくさん出てきたが、生き残っているものは少ない。KJ法は完全に定着しているが、山根式は果たして生き残るのかどうか不明である。だから野口悠紀雄が「野口式」という冠をつけずに「超整理法」や「超整理手帳」という普通名詞的な名前にしたのは生き残り戦略としてはよく考えられている。

 そうした類の本を読むと、私はすぐに著者の提案する方法を試してみたくなる。山根式袋ファイルもさっそくとりいれた。その後、超整理法が出てきたら、今度はそれを時系列アクセス順に並べ直した。で、今はどうかというと、非常にスタンダードなA4版のファイルフォルダになっている。なんのことはない、私が学生時代に読んだファイリングの教科書に従って始めた、厚紙に書類を挟むやり方に戻っただけである。

 そう、私は飽きっぽいのである。能率手帳がいいと聞けば、能率手帳を買い、システム手帳がいいと聞けばシステム手帳を買い、ポストイットがいいと聞けばポストイットを買い、B6カードがいいと聞けばB6カードを買い、超整理手帳がいいと聞けば(これは買わずに)蛇腹式の手帳を自分で作ってみる。そして、今はどうかというと、どこにでも売っているような一ヶ月が見開き2ページに収まっている薄いスケジュール手帳を使っている。しかも年末に企業からただで送られて来るものだ。

 そして得られた結論はこうだ。この手の整理法や手帳術については、やり方を変えないのが一番大切なことだ。毎年手帳を変えていると、形がそろわないのでバラバラになってしまって、整理しにくいことこの上ない。書類については今はフォルダに資料を入れているが、袋ファイルに入っているものもまだたくさんあって混乱しているし、2穴バインダーに綴じ込まれている資料もある。野口悠紀雄いうところの「ポケットひとつ原則」が守られていないので、資料を探すときに苦労する。

 毎年、何人かの人たちが新しい整理法、手帳術、発想法を発明する。しかし、基本のところはあまり変わっていない。単に個人用にカスタマイズされたものについて、○○式と名前を付けている場合が少なくない。ということはこうしたテクニックについて基本的なところが教えられていないということなのだろう。

 たとえば、

  • 書類の整理、ファイリングの仕方
  • 発想のまとめ方、文章化の仕方
  • スケジュールの管理、手帳の使い方
  • インタビューの仕方、メモの取り方
  • 文献の読み方、レジュメの書き方

 こういったことが学校で教えられていないことによるのだろう。これらのことは小学校高学年から大学の教養科目あたりで縦断的にやっておくべきなのだろうが、その気配はあまりない。そのおかげでカスタマイズされただけの「○○式」がはやる。「○○式」の本もよく売れる。そして私のような移り気で軽率な人間がその本を買う。