KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ネットワーク依存症?

 最近ネットワーク依存症気味かなと思って、今週は水・木・金と自宅からのネットワーク接続(PPP)を止めてみた。大学にいるときはネットワークにつなぎっぱなしのコンピュータで仕事をしているので、自宅で接続する必要は本来はない。しかし、どうも気になってメールのチェックをしたり、掲示板のチェックをしたりしてしまう。仕事のメールが来たとしても、よほど緊急でない限り、翌日大学に行って書くので、ただチェックをするだけなのである。しかし、そうしないと落ち着かないというのはやはり依存的になっている手前なのかなという感じがする。よく、何回も手を洗わないと気がすまないとか、鍵をかけたことを繰り返し確認しないと落ち着かないという人がいるが、それのメール版といったところか。

 自宅での接続禁止のこの3日間はどうだったか。1日目はさすがに落ち着かない。しかし、ここががまんである。本を読んだり、テレビに夢中になったりしてなんとかやり過ごす。2日目も同じようにつらい。しかし、週刊誌を読んだりしてやり過ごす。3日目(昨日)になるとかなり大丈夫になってきた。自宅でつながないでいると、早めに寝ることがわかった。それで翌日は少し早めに起きて大学に行く。それでネットワークにつなぐ。ほっとする。全体としてみればやはり依存的ではあるな。

 どんなことであれ、何かに依存的になるのは良くない。それはゲームだろうと、長電話だろうと、人間関係だろうと同じである。「いつでも使える」状態と「使わずにはいられない」状態は違うものだ。「いつでも頼れる」人間関係と「頼らずにはいられない」人間関係との間に雲泥の差があるのと同じことだ。

 とはいっても、人間は何かに依存的になるという時期が誰にでもあるものだと思う。私の学生時代を思い起こしてみると、ずいぶん長電話にハマっていたような気がする。夜中になると電話をかけずにはいられなかった。かけたところで何の話をするわけでもなく、ただ内容のない話をして何時間も過ごしていたのである。だから、今の若い人たちの「携帯電話漬け」を笑うことはできない(ちなみに私は携帯電話を持たない)。そして、今では長電話が嫌いになってしまったのは、たぶん学生時代の反動だろう。そう考えると、学生時代に長電話に依存的になったこともあながち無駄ではなかったのかもしれない。