KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ランキングの時代

 9月14日(1998年)のスーパーテレビキャンディーズの解散の謎を追うという番組をやっていた。キャンディーズはたくさんヒット曲を出したが、それまでチャートで一位になった曲がなかった。それで解散までの最後のシングルをなんとか一位にしようとファンはがんばった。それでその最後の曲はみごと一位になったという美談が織り込まれていた。

 ここで書こうとしているのはキャンディーズのことではない(私はむしろ太田裕美のファンだったしね)。どうもランキングっていうのはこのころから人の心をとらえ始めたのかなということを、ふと思ったのだ。

 ランキングは今の世の中に満ちあふれている。歌のヒットチャートはもちろん、人気の会社ランキング、好感度タレントランキング(嫌いなタレントランキングもある)、抱かれたい男優ランキング、嫁さんにしたい女優ランキング、本、ゲーム、映画のランキング、視聴率ランキング、はては、当店の人気ワインランキングとか私のマイブームランキングなどあまり意味のないものまである。もちろん人気のWeb日記ランキングも忘れちゃいけない。

 みんながこれほどランキングに注目し、楽しんでいるのに、ランキングの元祖である偏差値だけは嫌われている。学生は偏差値のせいで青春を奪われたと思っている。偏差値の偏重は良くないというので、大学入試に人物評価を導入しようなどという迎合した動きもある。偏差値という正確無比なランキングがあるのにどうして?と思う。「もし人物評価で落とされたらその後の人生どうなるのかなあ」なんてよけいなことまで考えてしまう。どうやら僕らはいろんなランキングは面白くて好きなんだけれど、自分がランキングされるのは嫌いらしい。勝手なもんだ。

 それはともかく、ここまでランキングが繁栄しているのはわかりやすいからだろう。5位よりも3位の方が偉いし、3位よりも1位の方が偉いのは誰でもわかる。しかし、それだけのことだ。ランキングのものさしの話に過ぎない。私にとって太田裕美キャンディーズで置き換えることはできない。しかし、あまりにもランキングが繁盛しすぎていると、いかにもそれだけがすべてという錯覚を持ってしまいがちである。

 「ナンバーワン(ランキング)よりも、オンリーワン(ユニークさ)を目指せ」という人もいるが、ランキング大繁盛の傾向には勝てない。それに、そもそもオンリーワンはそれを目指してなるものじゃない。何も目指さなかったことの結果がオンリーワンなのだ。