——日本経済新聞がWeb日記についての取材を記事にしたらしいね。
そう。日経は大学でとっているので、早く大学に行って読みたいなと思っていたら、ぴったんこさんが入力してくれたのでありがたかった。
——読んでみて、どうだった?
夜久さんが実名で出ていて、うらやましかった。原麻さんが「これは保存版だね〜」という気持ちがわかる気がしてほほえましかった。以上。
——おい! それだけかい!
だって天下の日経に名前が出たら、コピーして実家の親に送りたくなるってもんだろう。ふつう。
——ミーハーなやつだな。君には批判的精神ってものがないのか? たとえば「トイレの壁」のように:
インターネットをしない、Web日記の存在も知らないような人に、興味本位でその存在を知らせることが主たる目的だったんだろう。そして、Web日記書きの素人を新聞に取り上げてやって喜ばしてやることで、マスコミ関係者としての密かな優越感を感じてるんだろう。「ヤツラは変わりものですぜ」とも「別に新しいことやってるわけではありません」とも、どっちとも取れる玉虫色の視点を確保して、全方位的に愛想を振り撒くのはそのせいではないだろうか。
——これぐらいは言って欲しいぞ。
まあ、全方位というのは新聞の宿命だと思うね。だって、あの夜久さんへのインタビューが記事の中ではこうなってしまうんだよ:
「この多様性が面白い」と言うのはデザイナーの夜久則彦さん。夜久さんは毎日、50−100の日記を読み、その批評をつづる“日記読み日記”を書いている。「他人の日記を読むと、普通の生活では知り合えないような人の、色々な価値観にふれることができる」
なんだか、妙にスマートでかっこいいじゃないか。でも、このセリフは、私のファンタジーの中にある夜久さんでは決してない。僕の想像では、夜久さんはきっとこう言ったに違いないんだな:
「他人の日記を読むと、普通の生活では知り合えないような人の、人生観、人間観がよくわかる。それは冷静に読めば、傲慢で、独りよがりで、あまりに矛盾に満ちた、悲しい、人間くさいものなんだけど、「日記だからそれを隠さなくていいのだ」という思い込みによって、抑圧の少ないところでWeb日記が書かれる。そうした文章を読むことによって、色々な価値観にふれることができる。さらに僕はそれをネタにして「いちゃもん日記」がかけるわけ。相手は割と無防備ですから。がはははh」
——あの〜、君の勝手な想像で、他人の発言を再現しないようにね。
ともあれ、日経がWeb日記を取り上げたという事実がポイントなのさ。内容は、どうしたって当たり障りのないものになってしまうのは仕方のないことだ。学術論文ではないのだからね。あ、Web日記学会のことも取り上げて欲しかったが、休業状態では仕方ないな。また大会を開きましょうよ、赤尾さん。
——それはオフのことか?