……あなたの提案した文科系日記、理科系日記の区別が曖昧じゃないかと、いろいろなところで反駁されているよ。
そうだね。しかし、文科と理科の区別ははっきりと定義できるのだよ。人文科学と社会科学が文科、自然科学が理科だ。辞書にもそう書いてある。僕が「理科系の日記作法」で言いたかったことは、
「理科系の作文技術」があるとしたら、「理科系の日記作法」も考えられるだろう。それはいったいどのようなものか。きっと箇条書きスタイルではないだろうか。
ということだ。何も、理科系学部を卒業した人は理科系の日記を書く、なんてことを主張したかったのではない。ましてや、理科系卒業者は全員箇条書きで日記を書くなんてことはこれっぽちも言っていない。理科系卒業者が文科系日記を書いても、それは自由だし、何の問題もない。
……それにしてもたくさんの人がそう読みとって、それに反駁したということは、元の文章の書き方が悪かったのではないですかね。
うー、オホン。人工知能。キミは久しぶりに出てきたと思ったら、つっこみが鋭いね。うむ。
……あなたの「理科系日記論」が影響を及ぼしたのは、たたりさんくらいじゃないですか。かわいそうに、彼は自分の理科系アイデンティティを破壊されて、体育会系になってしまったじゃないっスか。彼はやけくそになってしまったッスよ。
ううむ。体育会系日記の称号は、私としてはゴリさんに捧げたいのだが。ま、それは余談じゃ。
それで、もう少し考えてみたのだが、まりさんのいうように、箇条書きやセンタリングというのは確かに表面的なものにすぎない。そうではなく、内容の分析が重要なのだ。
……内容の分析というと? たとえば?
たとえば、
- 事例指向か あるいは
- 法則指向か
という次元を考えてみる。事例指向とは、個別の事例を語り尽くそうというものだ。誰がどこでどんな状況でどんなことをしたか、それでどんな結果になったか。こういうことを細大漏らさず書こうとする。それについて私はこう考えるということも書く。ただしその事例に沿って書く。これが事例指向の日記であり、文科系日記と呼びたい。それに対して、法則指向とは、個別の事例から、何か一般的な法則や教訓を導き出そうとする。材料は事例から取るわけだが、それは何らかの結論を導き出すための材料にすぎない。これが法則指向の日記であり、理科系日記と呼ぶ。
……なるほど。でも、法則指向の日記なんてあるのかなあ。
いや、けっこうありますぜ。旦那。よく読んでみるとね。
それから、文章作法ではよく「事実と意見を区別して書くように」ということが言われる。日記では、これに「内省」が加わる。つまり、日記は、
- 事実
- 意見
- 内省
の3つから成り立っている。
……意見と内省とはどこが違うの?
意見は他人に対して発せられるものだ。内省は自分に対して発するもの。たとえば(←そうかな?)とか(←マジ?>オレ)などというのは、内省部分と考えられる。明示的に「不明日記です」という場合は、内省部分が大部分の日記になる。とすれば、内省部分を全体でわり算したものを日記の「内省指数」と呼ぶことができるだろう。そうすると、内省指数が高いものは文科系日記、低いものは理科系日記と言えるのではないだろうか。
……ところで、ちはる先生。
いきなりなんだ。しかも、その呼び方。
……あなたは文科系ですか? 理科系ですか?
もちろん文科系だ。文学部出身だからね。定義により。