KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

心理学として伝えたいこと

 ふと気がつくと、夏休みもあと一ヶ月を切ってしまった。どうりで急に涼しくなったわけだ。私はいまだに短パン姿で過ごしているけど。

 今年は10月12日から後期の授業が始まる。後期の授業の準備をしなくてはいけない。幸いなことに後期は心理学関係の授業のみ(他にはゼミがあるだけ)。それで、授業用のテキストを書こうとしている。

 毎年心理学関係の授業はあるけれども、そのたびに選んでくるトピックが違っている。私が気まぐれなせいだ。しかし、本当はこれではまずい。心理学を大学で学んだというなら、少なくともこれとこれとこれは知っていなくてはならない、というものがあるはずだ。だからそれをテキストとしてまとめておけば、気まぐれに影響されずに進めることができる。

 とはいえ、心理学を学んだというときにいったいそれは何が含まれているべきだろうか。心理学が扱うトピックは多岐にわたっているし、それは必ずしも理論化されたものばかりではない。というよりは、さまざまな理論体系が並立しているといったほうがいい。心理学の歴史も第三勢力から第四勢力まである。

 必ず伝えておきたいものとして、たとえば、行動分析学を入れる。役に立つからでもあり、体系的でもあるからだ。認知心理学は面白すぎる。その中でも、批判的思考と読み書きあたりは入れたい。これも役に立つから。認知のトピックを全部いれるとあふれてしまう。臨床系ではアドラー心理学。これも役に立つ。他にはエリスの論理療法も面白い。認知とのからみもある。社会心理学は面白いトピックの宝庫だが、人間関係や恋愛関係の実験はとりわけ面白い。

 こうしてみてみると、トピックとしては面白いものばかりだが、やはり理論体系が並立しているという感じがする。その中でも、役に立つかどうかということは私の価値基準としてあるようだ。さらにそうやって選んだ、ある体系と別の体系との橋渡しをどうやってするのかがポイントになりそうだ。

 最終的には、ものの見方は一つだけじゃないということを伝えたい。ものの見方のレパートリーがたくさんあればあるほど、熟達した人間だということ。それは、熟達した教師とは、教え方のレパートリーをたくさん持っている教師に他ならないということに合致する。