KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

夫婦喧嘩をすると、思う

 夫婦喧嘩をすると「ああ、こんなことをしている時間はないんだけどな」と思う。もう、妻がいなくては私の生活(そして家族の生活)は成り立たないことは明らかなのだし、逆に、私がいなくては妻の生活(そして家族の生活)が成り立たないことも同様に明らかなのだ。だから、すねたり、イヤミを言ったり、相手の心を探るようなことをしたりする時間はないのだ。何のてらいもなく、躊躇もなく、自分が思っていることをストレートに言うことが、最も解決に近い方法なのだ。

 「人生の正午」40歳を過ぎてからこのことを本当に強く感じるようになった。それは10歳年下のあなた(妻)にはまだ感じられないことかもしれないが、今まで生きてきた時間とこれから生きられる時間を比較したら、これからの時間の方が短いのだということ。人生のカウントダウンにはいったということなのだよ。

 もちろん、人間はいつ死ぬかわからないし、逆にずっと長生きするかもしれない。だが、私がいつ死ぬかということは本当はどうでもいいことなのだ。実際いつ死んでもいいように生きているし。いつ死ぬかが重要なのではなくて、誰にでも「人生の後半戦」を意識する瞬間がやってくるということだ。それを一度意識してしまうと、自分が関わるべきことと、そうでないことを峻別するようになるのだ。だって時間は有限だからね。いつでも「これは私がやるべきことか、そうでないか」というのを頭の片隅で考えている。自分がやるべきことだと判断すれば、全身全霊でやる。そうでなければ、他の人にやってもらうか、逃げるか、死んだふりをする。

 夫婦喧嘩は他の人に代理でやってもらうわけにはいかないから、引き受けるわけだが、こんな形式はもう私には不要なのだ。話せばわかる年頃になっているのだから。もう後半戦だぜ。