パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ
- 作者: ドナルド・A.ノーマン,安村通晃,岡本明,伊賀聡一郎,Donald A. Norman
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2000/07/15
- メディア: 単行本
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「パソコンを隠せ…」の方は、昨日も紹介したように、今のコンピュータは、それぞれの機能に特化した「情報アプライアンス」に進化していくだろうという話。エジソンの蓄音機がなぜ市場的に失敗したかという話を出発点として、豊富なエピソードが盛り込まれている。エピソードがどれもこれも面白くインスピレーションを湧かせる。
結論としては、ビジネスとして製品が成功するためには、3つの要件「テクノロジー、マーケティング、ユーザ経験」がそろわなければならないとする。そして、この3つの要件は互いにトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の関係にある。トレードオフのバランスこそが成功の鍵である。
たとえば、見事なテクノロジーとライバルの中で最良のユーザ経験を提供していたマッキントッシュがマーケティングの失敗によってどういう道をたどったかが、この枠組みで説明される。ビジネスでは、上品である前に標準であることが望まれるのである、と。言い換えれば、最高でなくても、「十分」であればよい。しかも技術的優位性は、ごく短時間のうちに差が縮められてしまう。一時はアップル・フェローであったノーマンの言葉だけに説得力がある。
この話は、エスペラントと英語の話にも適用できるかなあ、などと考える。第二言語のマーケティングという意味では、エスペラントは完全に負けているわけで、いくらその文化的中立性、学習容易性といったような国際語としての優位性、美点を強調しても限界がある。ビジネスではまさに標準であることが条件だから。ちなみに、エスペラントのユーザ経験もまたすばらしいものだ。さまざまな母語を持つ人間同士が一つの中立的な言語でコミュニケーションしているというユーザ経験をするとエスペラントから離れられなくなる(だから逆にエスペランチストはファナティックだと見られやすいのだが)。となるとやはりマーケティングの問題か。ふう。
クヌースがメールアドレスを放棄した話も面白い。「15年間に来た電子メールは一生には多すぎる」と。私も、メールの読み書きに当てられる時間の長さにびっくりしている。これでは他のことをする時間がない。
邪魔をするテクノロジーの話も面白い。カメラやビデオは便利だけれども、それは「よく見る」という行動を邪魔するものだ。それに対して、スケッチをすることは、記録としては不完全だが、味わい、楽しみ、よく考えるという行為を要求し、その結果として見たものが深く記憶に残ることになる。スケッチを捨ててしまっても、記憶には刻まれている。同様にノートを取るという行為は、テープに録音するということに比べて、不完全にならざるを得ないから、興味を持った部分や重要な部分をとらえる必要がある。その結果として、記録した話について深く考えることになる。そのときもはや記録としてのノートは不要である。ノートを取るというプロセスが大事なのだ。
日記を書くということも、1日の体験を深く刻み込むという意味で、書くというプロセスが大事なのだろう。それは不完全でいびつな記録なんだけれども、だからこそ意味があるのだ、などと考える。