KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

どちらにつけば勝てるか?

どっちの料理ショー」というテレビ番組をよく見る。「フカヒレラーメン」対「鴨南蛮」のように、2種類の料理を特選素材で作り、それをゲスト9人(だったかな)がどちらを食べたいかを選ぶ。人数の多い料理についた人たちが勝利となり、その料理を食べることができる。少数派についてしまった人たちは、負けとなり、料理が食べられない。

つまり、これはただ単にどちらの料理の方がうまいかということを競うのではなく、どちらの料理の方がうまいと思う人が多いかということを当てるゲームである。だから、ただ単に料理のうんちくを聞いているのではなく、他の人がどちらを選ぶかということを常にチェックしなければいけない。多数派についた方が勝ちだからだ。

最初と中間で、参加者はどちらの料理につくかということを明らかにするけれども、それは当てにならない。中間地点で圧倒的に優勢だった料理が、最終判断では負けることがよくある。

どちらの料理もそれぞれに趣向を凝らしているから、いかにもうまそうである。したがって、勝負はたいていの場合五分五分であるし、そうでなければ番組は面白くない。五分五分の場合に、9人の中のたった一人でも、「こちらに傾いている」というような言動をすることで、その影響力は波及していく。「あの人が、こう考えているなら、こちらについた方が勝つ可能性が高くなる」ということを、プレイヤーそれぞれが考え始めるからだ。そうすると、雪崩が起こるように、プレイヤー全員が一方の料理についてしまうことがある。バタフライ効果の一例とも言えるかもしれない。

「どちらについた方が勝ちか」という予測が個人的に重要になることはよくある。たとえば、ゲーム機が複数種類出ていて、それぞれに優劣つけがたい場合は、このゲーム機が長く存続するかどうかという予測が重要になる。もし自分の買ったゲーム機がシェアを落として、その結果、ソフトが出なくなってしまえば、そのゲーム機には価値がなくなってしまうからだ。少なくとも長く遊ぶことはできなくなってしまう。

大学に入って、自分が卒業しないうちにその大学が倒産してしまうと、損失が大きい。したがって、大学を選ぶときには「どの大学についたら勝ちになるか」という判断が重要になる。だから、大学全入の時代になっても、人気のある大学と不人気な大学との差はある。というよりは、ますます大きくなると予測できる。勝つところは勝ち続ける。一度負け始めると挽回は非常に困難になる。

自分の持っている時間は有限であり、増やすこともできないので、その時間をどういったことに使うか、つまり何に投資するかということは、非常に重要な決断事項となる。たとえば、英語とドイツ語のどちらに自分の時間を投資して勉強するかというと、「勝つ方に時間を投資する」のが大多数の人である。勉強しているうちに、その言語のニーズが落ちていけば、同じ投資をしても回収が困難になってしまうからだ。

このように、人は「どちらにつけば勝つか」ということを常に考えながら意志決定をしている。しかし、その一方で、「明らかに負ける、あるいは現時点ですでに負けている」という選択肢をあえて支持することに熱意を燃やす人が、かならず一定の人数だけ、いる。それが不思議である。