KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

シンポジウムの面白さを決定するもの

教育工学会の大会2日目、最終日でもある。今日も一日中まじめに参加。偉い。

一番収穫だったのは、最後の最後にひとつだけ開かれた自主シンポジウム。学会の最終日というのは、午後あたりからぼちぼち帰る人たちがいて、最後には参加者が少なくなってしまうのだ。しかも、夜の7時までやる自主シンポジウムだ。テーマは「メディアとFD」みたいな変なものだったけれども、めちゃくちゃ面白かったのだなあ。

明白になったのは、シンポジウムの面白さを決定するものは、テーマなんてのは関係なくて、ましてや話題提供者の提供する話の面白さですら関係なく、さらには司会者なんてのは黙って議事進行するだけでよく、決定的なのは、そのシンポジウムにいる参加者の発言なのだということだ。

これは1日目と2日目に開かれたシンポジウムと対照的だ。今はやりのテーマで、司会者が手際よく導入し、話題提供者が予定調和的にいつもの話をして、波乱もなく、そして、フロアからの質問もなく(フロアが悪いのではなく、質問を受ける時間を司会者が作らなかったのだ)時間を少しオーバーして、最後にきれいにまとめられたシンポジウムが「いかにつまらないものであったか」ということだ。

最後の自主シンポジウムでは、話題提供者の話はまさに話題のイントロでしかなかった。実質的な議論は、フロアで行われるのだ。それでいいのだ。それこそが面白いのだ。それを聞きたいのだ。そこから何かが生まれるのだ。司会者が介入する間がないほど、連鎖的なさまざまな人の話が引き出される。ぴんとくるものもはずれの意見も入り乱れてあるけれども、これこそがポストモダンなコミュニケーションなのである。話題提供者が舞台に座って一方的に話すような「時代遅れの学校モデル」によるシンポジウムの形態は早晩崩壊するだろうと確信した。

まあ、これは最後まで居残るような「コアな研究者だけ」が参加したからできたことなのだろうね。たまたまのことかもしれない。でもそれでいい。私にとってはこれが最高に面白いことなのだから。 来年もこんなシンポジウムがあることを期待する。