KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

手持ちの知識から何を構築するか

来週にもう一つ講演があるので、大学に行って準備をする。さすがにお盆の週だけあって、学内に人は少ない。しかし、昼のテニスにはかろうじて4人が集まった。来ている人は来ている。

2、3日前から、kogo@edu.toyama-u.ac.jp宛のメールがサーバから持ってくれなくなった。原因不明。情報処理センターにメールを出してあるけれど、お盆休みかもしれないから復旧はいつになるかわからない。

2ヶ月前くらいから、意識的にkogo@kd5.so-net.ne.jpのアドレスを使うようにしているので、だいたい切り替わっているとは思うが、もし私からメールの返事がないという方は、so-netのアドレスに送ってください。toyama-uのアドレスも、ほどなくして使えなくなるだろう。

Webページで調べものをしていると、さまざまなことを勉強する。ちょっと前から比べてもどんどんと内容が充実しているように感じる。しかも、個人の語り口で書かれているものは、わかりやすいし、また具体的だ。その分、不正確で、断片的で、一面的であるのかもしれないけれども、一個人がすべてのことを知り、それをことばにできるわけもない。逆に、あくまでも主観的な印象としてつづられたものが、たくさん集積されたときに、それをまとめて見ることによって、ひとつのパースペクティブができるのではないか、などと夢想してしまう。

それは明るい希望だが、逆に、ネガティブな抑圧として、大量の情報を目の前にして、自分を否定的に見てしまうということもあるだろう。つまり、「自分の知らないことがこんなにたくさんあるのだ」と。自分の無知を肯定的にみる訓練から必要かもしれない。知らなかったことを知ることの喜びのような。ただそれでも全部は知り得ない。知識の量を問題にするのではなく、手持ちの知識から何を構築するかという技能が問題になってくる。