なるほど、パッケージというのは、「上から下へのパッケージ」ということだったんだ。草の根や下から上への実践と対立するから「パッケージでなくて」と反発するわけだ。
でも、どうかね。それは、実践者たちを軽く見すぎているよ。パッケージとして流しても、それをそのままやるわけじゃないでしょう? 逆に、パッケージを開発する方としては、そのままやってほしいからパッケージを磨き上げるわけだ。それでも実践する際には、実践者の個性がでる。そこに、「パッケージ(土台)+個性(サイエンス&アート)」の良き実践ができあがると思うんだけどなあ。
パッケージがダメという人は、やはりパッケージを作らないんだろうね。そんなことをしたら自己矛盾だもの。