「思考錯誤」http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20050422#p1より
ゼミとか導入教育とかの少人数クラスでは、教員が「先手」にまわっちゃダメだな、ということだ。ノートテイキングでも論文要約でも何でもいいが、ありがちなのは(私もついそうやってきてしまっていたのだが)、ノートはこういうふうにとります、論文はこういうふうに要約します、という「見本」を先ず示して、さ、では実際にやってみましょう、と「まね」させるというやりかた。
1年生の導入授業の目的は、大学での学びかたを教えることではない。といってしまうと語弊もあるが、その前に、彼ら彼女らの身にしみついてしまった高校までの学びかたを抜く――言いかたは悪いが毒抜き、アク抜きをする――必要がある。
そのとき重要なのは、たぶん教員が先手にまわることを極力禁欲して、後手にまわることを心がけることではないか。まずは、何も言わず何も示さずに、とにかくノートをとらせてみる、とにかく論文を要約させてみる。その後で、「このノートじゃ、要約じゃ失敗だよね」と叩いてみせる。何がどういうふうに失敗なのかは言わない(せいぜいヒントを出すくらい)。何がどういうふうに失敗なのか自体を考えさせる。ひとしきりそれを議論させ、失敗をリストアップさせた後で、自分たちで対処法を考えさせる。そうしてから、ようやく対処法の1つの見本――あくまでサンプル――を、教員が示す。んで、もう一回やらせてみる。
とにかく失敗させ、試行錯誤させること。
「失敗から学ぶ」ですね。シャンクの本(http://d.hatena.ne.jp/kogo/20050305/p1)にも、「失敗によってすべてを学ぶ」と主張されていました。eラーニングの7つの規準FREEDOMの一番目のFは、Failureと。
さらにこうある。
こういう授業ってのは、ひょっとすると、第三者の目からは教員が手を抜いているように見えるのかもしれない。だって、先ずは教員は「何もしない」ことになるわけだから。授業の進行も非効率的だし。
なにより、学生にとってはある意味「不親切」な授業なわけで。
そうなんですよ。「不親切」を実に「親切」にやるというパラドクスこそがインストラクションの焦点ではないかと思うのです。