KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

Raph Koster『「おもしろい」のゲームデザイン』

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

良いゲームとは「プレイヤーがやめようとする前に、与えなければならないものはすべて教えてしまえるゲーム」と定義できます。

つまるところ、これこそが、ゲームとは何かの答えになります。つまり先生(教える人)です。おもしろさとは単に、学ぶことの別名なのです。

「おもしろさとは学習すべき目標についてのパターンを吸収するとき、脳が与えてくれるフィードバック」と著者は定義します。おもしろさを感じるときには何らかの学習が起こっているし、学習しているときにはおもしろいと感じている。もちろんつまらない勉強や授業もあるわけですが、そのときはあまり学習は起こっていません。ゲームは学習を起こすための強力な形式または芸術になりえます。

その上で、画像も音楽も音響効果も物語も、ゲームにとっては増幅的ではあるが本質的ではなく、それらをとりはらったときにゲームそのものがおもしろいかどうかによって確かめられるとします。最終的に、音楽や小説がその形式や要素を洗練させてきたのと同じ事をゲームについても適用可能であると示唆しています。

ゲームが学習である以上、

つまらなくなり、自動化され、ずるをされ、貪り食われるのがゲームの宿命なのです。ゲームデザイナーが果たさなければならないただ1つの責務は、そのゲームが関係している物事を知り、ゲームが間違いなくそれを教えられるように保証することなのです。そのゲームの主題であり、中核であり、命でもある、その唯一のものは、数多くの仕組みを必要とするかもしれませんし、数少ない仕組みで足りるかもしれません。しかし、その授業に貢献しない仕組みは、そのゲーム内にあるべきではありません。

もちろんゲームに関して著者と違う立場も取れます(著者が3目並べから話を始めているところに出発点があります)が、この一貫した主張は、学習や教授デザインへも応用できるでしょう。