- 作者: Raph Koster,酒井皇治
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2005/12/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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良いゲームとは「プレイヤーがやめようとする前に、与えなければならないものはすべて教えてしまえるゲーム」と定義できます。
つまるところ、これこそが、ゲームとは何かの答えになります。つまり先生(教える人)です。おもしろさとは単に、学ぶことの別名なのです。
「おもしろさとは学習すべき目標についてのパターンを吸収するとき、脳が与えてくれるフィードバック」と著者は定義します。おもしろさを感じるときには何らかの学習が起こっているし、学習しているときにはおもしろいと感じている。もちろんつまらない勉強や授業もあるわけですが、そのときはあまり学習は起こっていません。ゲームは学習を起こすための強力な形式または芸術になりえます。
その上で、画像も音楽も音響効果も物語も、ゲームにとっては増幅的ではあるが本質的ではなく、それらをとりはらったときにゲームそのものがおもしろいかどうかによって確かめられるとします。最終的に、音楽や小説がその形式や要素を洗練させてきたのと同じ事をゲームについても適用可能であると示唆しています。
ゲームが学習である以上、
つまらなくなり、自動化され、ずるをされ、貪り食われるのがゲームの宿命なのです。ゲームデザイナーが果たさなければならないただ1つの責務は、そのゲームが関係している物事を知り、ゲームが間違いなくそれを教えられるように保証することなのです。そのゲームの主題であり、中核であり、命でもある、その唯一のものは、数多くの仕組みを必要とするかもしれませんし、数少ない仕組みで足りるかもしれません。しかし、その授業に貢献しない仕組みは、そのゲーム内にあるべきではありません。
もちろんゲームに関して著者と違う立場も取れます(著者が3目並べから話を始めているところに出発点があります)が、この一貫した主張は、学習や教授デザインへも応用できるでしょう。