KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

院ゼミコラム(3):ゼミに出ることは息継ぎのようなもの

ゼミに参加するということは,水泳でいえば息継ぎをするということだ.息継ぎをしなければ泳ぎ続けられない.でも,息継ぎをしているときは実質的に少しも進んでいない.進んではいないけれども,そこで自分が向いている方向を確かめる.ゴールはどの方向か.自分が進んでいるルートはこれで適切なのか.そうしたことを確かめるためにゼミに参加する.

ゼミに出て何かを勉強しようなどと考えないこと.勉強は1人でやるものだ.ゼミに出て何か分からない専門用語があったら,家に帰ってから自分で調べることだ.勉強不足を反省しながら調べることだ.その時に知識は自分のものになる.ゼミで教えてもらおうなどと思わないこと.そんな時間はない.

ゼミの時間は,教員,先輩,仲間から自分の研究について叩いてもらう時間だ.世間の人は,あなたの研究について何も言ってくれないだろう.せいぜい「すごい研究をしているんですね」と言ってもらうくらいが関の山だ.それは,あなたの研究が他人事だからだ.あなたの研究を叩くためには,その研究について真剣に考えなくてはならない.わざわざ時間を割いてそれをやってくれる人は多くない.同じゼミにいる仲間はその数少ない人だ.

叩かれてこそ研究は進む.「その研究に何の意味があるのか?」と叩かれ,それにあなたが答えるたびにあなたの研究は大きくなり,ゴールに近づくだろう.

  • これまでの「院ゼミコラム」
    • 院ゼミコラムについて*1
    • 院ゼミコラム(1):自分のWebサイトを持つ*2
    • 院ゼミコラム(2):2年間は優先順位を変える*3