facebookに書いたこと:
ソーシャルというのは、境界線を厳格に管理してこそ意味がある。そうすることで初めてそこでしか書けないことが書けるようになる。輪をどんどん広げてしまうと、公開モードに等しくなり、ブログと違いがない。かといってGoogle+のようにサークルを管理しようとすると手間がかかる。ここらへんのバランスをとることそのものがコストになるように思える。
ということで、高々数人から数十人の範囲ならばソーシャルをする意味がある。しかし、100人を超えると「内輪」の境界はもはやないのと同じ。とすれば、逆に公開モードを認識して書いた方が「安全」になるというパラドックスが生まれる。