KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「ちはるのWeb日記論」

この前、大学のサーバに置いてあるkogolabのサイトを3月いっぱいで終了すると書いた。そうしたら、ある人から、そのサイトに置いてある「ちはるのWeb日記論」は削除してしまうのかどうかを聞かれた。ああ、すっかり忘れていた。そういうページがあったのだ。せっかくなので、そのページも移転することにした。

それは、Web日記の中で折々に「Web日記」について書いたものを集めたものだ。最新のものが、1998年10月になったまま、そのままほったらかしだった。いつか時間を見つけて、それ以降の「Web日記論」を追加することにしよう。

最近は「Web日記論」を日記の中で書かなくなった。2001年の日記の目次をざっと見てみても、日記を書くことについて自己言及しているものはほとんどない。これはおもしろい現象かもしれない。

つまり、ある行為への自己言及は高々3年でなくなる、ということだ。もちろんその行為を続けているという条件下で。

ある事柄について外から言及しているうちは、まだ万全ではないということなのだろう。「万全」とは何か?という質問をしたい人もいるかもしれないが、そんなものだと思ってほしい。

自分はなんでこんなことをしているのだろう、こんなことをする意味は何なのだろう、と考えているうちは万全ではない。だからいろいろ考えたり、迷ったりするわけだ。ところが、それをずーっと続けているうちに、だんだんとその行為の意味を自問することが少なくなってくる。それは何か明快な解答を見つけたり、最終的な結論を見いだしたりしたということではない。

そうではなくて、その行為そのものが答えなのだ、ということに気づくということなく気づいてしまっているからなのだ。