2023年1月7日(土)
鴻上尚史さんのこんなツイートが流れました。
> 時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように😊
https://twitter.com/KOKAMIShoji/status/1611178777027174408
私の考えは、
第一に、文体は著作者の人格そのものであるので、明らかな間違いでない限り、編集者が手をいれる権限はない。
第二に、私自身と私のゼミのルールとして、__体言止めは禁止__である。
(体言止めの例)「電車の中でほぼ全員が手元のスマホを眺めているスマホ社会。」
だからなんなのか。それが良いのか悪いのか。問題なのか問題でないのか。読者はわからない。したがって文として成立していない。だから体言止めは禁止としている。体言止めは美しくもないし、かっこよくもない。単に不完全な文である。
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私の『幸せな劣等感』(小学館新書)を丹念に見ていくと、ごくわずか体言止めを見つけることかできます。これはもちろん私がそう書いたのではなく、担当編集者が「こう直せ」と言ってきたからです。当時の私は、「ああ、またか」と思いながらも、戦うのがめんどくさかったので、そのまま直させたものが残っているものです。
いまとなっては、突っぱねればよかったかなと思います。