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【本】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』まとめ(1)

2023年8月24日(木)

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫, 2021)のまとめ。3章まで。

https://www.amazon.co.jp/dp/4101035415?tag=chiharunosite-22

第1章 暇と退屈の原理論

パスカル:部屋でじっとしていられない。退屈するから「みじめ」なのだ。ウサギ狩りに行くのはウサギが欲しいからではない。不幸から気を逸らしてくれる騒ぎが欲しいからだ。何かに熱中し、目指しているものを手に入れさえすれば幸福になれると思い込んで「自分をだます」必要がある。

ラッセル:退屈とは事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの。事件とは今日を昨日と区別してくれるもの。その区別の内容は「なんでもいい」。熱意を持って取り組める活動があれば幸福になれる。その活動の内容はなんでもいい。

スヴェンセン:近代以前は共同体の中で一人前になれれば価値が認められた。18世紀ロマン主義では生の意味は自分で獲得すべきものになった。

第2章 暇と退屈の系譜学

1万年前の定住化によって、掃除革命、ゴミ革命、トイレ革命が起こった。食料の貯蔵が経済格差を産んだ。そして、退屈を回避する必要が生じた。対して、それ以前の遊動生活では負荷が心地よかったはずで、退屈を回避する必要がなかった。

第3章 暇と退屈の経済史

ヴェブレン:戦争や略奪によって所有権が発生するとともに、有閑階級が発生した。古い有閑階級は暇を生きる術を知っていた。しかし、平民からなった新しい有閑階級は暇に苦しみ、退屈した。

フォード:生産性第一であり、休暇は労働のための準備期間と位置づけられた。つまり、余暇が資本の論理の中に組み込まれた。レジャー産業の役割は、何をしたらよいかわからない人たちに「したいこと」を与えることだ。

ポストフォーディズム:商品はモデルチェンジしないと売れない。なぜならモデルチェンジが人々の退屈しのぎになるから。