KogoLab Research & Review

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【音楽】伊福部昭とストラヴィンスキー

2023年11月20日(月)

ゴジラの流れから伊福部昭のオーケストラ曲を聴いている。聴けば聴くほど、「これは絶対ストラヴィンスキーやショスタコーヴィッチから影響を受けているだろう」と感じた。変拍子とか打楽器の使い方とか。

そこでちょっと調べてみたら、以下のような記事を見つけた。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD

> 旧制中学時代に三浦淳史(後の音楽評論家)と知り合い、伊福部曰く、彼に「音楽をやるなら作曲をやらねば意味が無い」と「そそのかされ」、海外から取り寄せたレコード・楽譜などを基に独学で作曲の勉強を始めた。この頃に聴いたイーゴリ・ストラヴィンスキー「春の祭典」のレコードに感銘を受け、「これが音楽というなら自分にも書けるぞ」と奮起し、オーケストラ曲の作曲を志した。

> 1946年、栃木県日光市久次良に転居。東京音楽学校(現・東京藝術大学)校長・小宮豊隆の誘いで同年9月から東京藝術大学改変後の1953年まで、同校作曲科の管弦楽法の講師を勤め(最後の2年間は休講していた)、芥川也寸志や黛敏郎、小杉太一郎、池野成、矢代秋雄、三木稔といった、後に作曲家として活躍する学生たちを育てた。戦後、物資の乏しい中、スーツに蝶ネクタイという出で立ちで教室に現れ、開口一番「定評のある美しか認めようとしない人を私は軽蔑する」というアンドレ・ジッドの言葉を引用し、当時の音楽学校では触れられることの少なかったストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ドミートリイ・ショスタコーヴィチなどを取り上げるといった授業スタイルは学生たちに鮮烈に映ったようで、弟子たちの証言によれば最初の授業で既に伊福部信者が生まれたという。

ああ、やっぱりストラヴィンスキーの「春の祭典」からなんだ。それにしても「これが音楽というなら自分にも書けるぞ」と思ったというのは、豪快だな! 伊福部昭、いいなー。