ええと、今日は何の話をしようか。
——なんでも、いいよ。あなたの気になっていること、それを話して。
じゃあこれだ。「対話という語り口」が気になっている。
——なんですか、いきなり。「対話という語り口」というのはこんなふうに、二人でしゃべっているように書くということね。
そう。こんなふうに「二人でしゃべっている」のをシミュレートして、実際は書いているわけだけど。ポイントはこういう書き方で書くと理解しやすいということ、もうひとつは、こういう書き方で書くと楽に書ける場合があるということだ。
——なるほど対話形式で書かれた日記としては「あなたについて考えている」があるね。今は中断しているみたいだけれど、あの文体のファンは多いと思う。すごく読みやすくて、親しみを感じる。
でしょ。対話の形式だと、聞き役は「読者の代表」を想定しているので、その役割がぴったりはまっていれば、読んでいて共感を得やすくなる。ストーリーの展開もわかりやすい。それで全体として理解しやすくなるのだと思う。
——もうひとつのポイントの楽に書けるということは?
これは日記に限らないが、対話形式で書いたほうが楽な場合が確かにある。それは、自分自身が必ずしも書く内容について整理できていないような場合だ。そういう場合はなかなか筆が進まない。でも、架空の人物を相手にして語って聞かせるように書いていくことでなんとか進めることができる。
——日記の場合は整理のついていない話のほうがむしろ多いのだから、対話形式のほうがいいのかもね。
そうだね。なかなか日記が書けないという人は、架空の人物を一人設定して、それに語って聞かせるという感じで書くといいかもしれない。ちょっとファンタジー的かなあ。
——なんだか対話形式はいいことづくめのようだけど、欠点はないの?
もちろん、ある。ひとつは冗長になるということだ。つまり分量が多くなる。普通の文体の二倍から三倍くらいにはなるのではないか。しかし、これはWebページのようにスペースを取ってもコストが高くならないメディアでは問題にならないだろう。むしろ文章量は多くなってもわかりやすいものが求められているはずだ。
もう一つの欠点は、一人二役をしながら書かなくてはならないので頭が疲れることだ。
——あれ? さっきは書きやすいといったじゃない?
いや、確かに書きやすいんだけれど、頭の切り替えがしんどいかな、ということだ。乗ってくれば掛け合い漫才のようにすらすらと書けるのだけど。
——そうすると、自動的に聞き手のセリフを生成してくれるようなプログラムがあるといいね。そうすればチャットのような感じで日記を書くことができる。「今日はどんなことがありましたか?」なんて聞いてくるプログラム。
人工知能のカウンセリングシミュレータ「ELIZA」みたいなものかい? うーんあればぜひ使ってみたいけどね。しかし、一人二役では実質的には聞き手も自分がコントロールしているわけで、もし聞き手のコントロールが外にある場合には話がどんどん逸れていってしまうのではないかという気もする。
——まあ、それも面白いのではないかと。
自分の思いもよらなかったことを書いてしまったりしてね。