KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

あたりさわりのあることを書こう

結局、「易しすぎるのでもなく、難しすぎるのでもなく、自分がほんの少し努力しなければできないような課題を設定できるかどうかが、そのことを楽しめるかどうかの分岐点になる」という原理は、日記書きにおいても有効に働いている。(7/15の日記より)

 ゼミ生と話していたら、彼女たちはWeb日記以外に、日記帳に日記を書いているとのこと。「日記帳にはたくさん本音を書けるんだけど、Web上ではいろんな人に読まれることを考えると、あたりさわりのないことしか書けない」と。なるほど「あたりさわりのないこと」か。つまり、彼女たちには「書く、と決心した以上、あたりさわりのないように書くことはできない」ということがわかっていない。書くってことはそういうことだ。書けば自然に波風がたってしまうものなのだ。

 私も大学生時代から日記帳に日記を書いていた。しかし、Web日記を書くようになってからは日記帳には書いていない(ネタ帳「マイブック」はあるけれども)。というのはWeb日記のように、見知らぬ第三者に読まれる日記として文章を書くのは、とてもスリリングな体験だからだ。一度そのスリリングな体験をしてしまうと、自分だけが読める日記帳に、勝手きままに文字を連ねるのは安楽すぎて面白くないと感じてしまうのだ。しかし、Web日記に「あたりさわりのないこと」しか書いていないとしたら、そのスリリングな体験は味わうことができない。

 だからWeb日記には「あたりさわりのある」ことを書こう。それはわざわざ読み手の神経を逆なでしたり、挑発したり、煽ったりすることではなく、素直に思っていることを書くだけでいいのだ。もし、素直に感じたことをそのまま書くと、それはたいてい「あたりさわりのある」ことになるので心配はいらない。

 今月のWeb日記のモットーは「あたりさわりのあることを書く」にする。