KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

北海道新聞からメール取材

昨年末に、北海道新聞の人から日記についてのメール取材を受けていた。もう記事も出たみたいなので、そのときに送った内容を公開しておこう。今回は認知心理学的な回答をしてみた。特に(1)の回答は、期待×価値理論を援用している。

(1) 長続きする人と三日坊主で終わる人の違い(性格など心理学的な面を含めて )

 性格など個人の属性には無関係だと思います。

 日記を書き続ける人とそうでない人の違いは、次の2点に絞られるでしょう。ひとつ目は、日記を書くことに何らかの価値を見いだしていること、そしてふたつ目は、自分も書けるのだという自己効力感を見いだしていること

 日記を書くことの価値には、個人によってさまざまなものがあります。長年日記を書き続けて、いつの日か自分の回顧録を出版したいと思う人もいるでしょう。その日の出来事を書くことで、1日のけじめをつけることそのものに価値を見いだす人もいるでしょう。私は、人に読まれる日記をつけることで、読者から別の考え方や自分のアイデアへのヒントをもらうことがあります。そこに価値を見いだしているわけです。いずれにしても、日記をつけることの価値を見いだしていないと長続きはしません。とはいえ、ある程度続けないと日記の価値がわかってこないということも事実で、そこが三日坊主の人が多い理由だとは思いますが。

 さて、もうひとつの自己効力感ということですが、これは「やってみれば自分もできるんだ」という感覚のことです。短いメモなら簡単ですが、ある程度まとまった分量の文章を書くことは、けっこう難しいハードルです。このハードルを毎日クリアして続けていき、自分もできるんだという感覚を持つことが長続きの条件になります。そのためには、ハードルを最初は簡単なものにして、徐々に上げていくことです。具体的には、最初はメモ程度のものにして、とにかく毎日書き続けることを訓練する。それが慣れてきたら、メモではなく文章で書くようにする。さらには、ある程度長い文章を書いて、自分自身の考えをまとめながら書くようにする。このように段階を踏んでいきながら、自己効力感を徐々に高めていくと良いと思います。

(2) 先生はネット上でも日記を公開されていますが、従来型の日記と、ブログや日記サイトでの日記は、長続きのコツや効用、書き手の意識などに違いはあるのか、ないのか。あるとしたらどのような点か

 ネットで公開するタイプの日記は、自分1人で書く日記に比べて、長続きする確率は高いのではないかと思います。というのは、公開すれば、必ず読者はつきますし、その読者が何らかの反応をメールや掲示板で送ってくれれば、それが書くための動機づけになるからです。メールのような反応がなくても、アクセスカウンターが上がることでも、自分の文章が読まれているのだということがわかります。

 日記とはいえ公開されるものであれば、それなりの配慮が必要です。反応として寄せられるメールも必ずしも好意的なものばかりではありませんし、書いたことがきっかけでケンカに発展する場合もゼロではありません。しかし、そういう制約があるからこそ、自分が書きたいことをストレートに書きたいという思いと、それを冷静に明瞭に表現することとのバランス感覚が身につくという御利益もあります。

 ネット上の日記は、自分自身のデータベースとして使えます。いつどこで誰と会ったかとか、パソコンを買い換えたのはいつだったかなどの事実の検索ができます。また、さまざまなアイデアを書き留めておけば、のちのち役に立つことがあります。そして何よりも、1日1日が大切な日なのだということを確認することができます。