KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

渡邊洋子『成人学習時代の成人教育学』

生涯学習時代の成人教育学 (明石ライブラリー)

生涯学習時代の成人教育学 (明石ライブラリー)

本書は、生涯教育の中核的要素にもかかわらず、これまで十分な考察と検討が行われてきたとは言い難い成人期の教育・学習の領域に、成人教育学という枠組みをもってアプローチしようとするものである。

日本では現在に至るまで、「おとなが学ぶ」ことが、子どもの学習とは違った価値や意味をもつというような考え方や価値観が、あまり共有されてこなかった。それゆえ、成人学習者の立場に立って「おしえる」技術や学習援助のための専門性を確立していく基盤が、日本社会には形成されにくかったのである。そしてこのことは、日本人の学習形態が、「習うより慣れろ」「共に学び合う」「お話をうけたまわる」など、「おしえてもらう」ことを重視しない形で展開される傾向にあったことと無関係ではないだろう。

「学習者」としての成人とは

  • 過去の知識・経験を、学習に持ち込む存在である。
  • 確立した「認識枠組み」のうえに、学習に取り組む存在である。
  • 「意味をもった全体」として、物事を理解する存在である。
  • 学習において自己主導性(自己決定性)を志向する存在である。
  • 学習場面で自信がなく、自分の能力を過小評価する傾向のある存在である。

従来、セルフ・ディレクティド・ラーニング(Self-Directed Learning、以下SDL)には、自己決定学習、自己主導的学習、自己主導型学習、といくつかの訳が当てられてきた。

社会変化が教育・学習に及ぼす示唆として、ノールズは、次の4つの点に言及する。第一に、「知られていること」の伝達、という意味での教育目的の定義が、もはや非現実的なものになってしまっていることである。第二の示唆は、学習に関する考え方が、学校で「教えてもらう」ものから、あらゆる経験を「学習経験」としてとして捉え直すべきだというものへと変わってきたということである。すなわち、人は、コミュニティのあらゆる期間や場所で、あらゆる人から学ぶ、ということである。(……)第三に、教育ないし学習は、今や生涯にわたるプロセスとして定義されるべきだということである。青少年期の学習は、探求するための技能に焦点が当てられ、学校教育後の学習は、迅速に変化する世界において適切な形で生きていくのに求められるような、知識、技能、理解、態度、諸価値に焦点が当てられるであろうということである。最後にノールズは結論的に、自己主導型学習の決定的理由は、一個人として自分が「生き抜くこと」、そして人類が「生き残ること」にあると述べている。

学習契約とは、教育者と学習者の間で交わす契約ではない。学習者自身が、自己主導的な学習者になるために、自らの学習について自分自身で取り決めを行うことを意味する。手順としてはまず、学習目的、学習リソースと学習方策、達成度の証明方法、手段などを明確化し、「契約例」を参考に、自己診断結果にもとづいて自分の学習の到達目標を決定するのである。

スウェーデンでは1970年以降、リカレント教育を教育政策の指導原理として採用し、成人の学習機会の拡充を目指す諸改革を断行してきた。(……)学校教育では77年、25歳以上で育児を含む労働経験4年以上のものに入学定員の半数を確保する、いわゆる「25:4」プランが導入され、中等教育を経ずとも高等教育へのアクセスが可能になった。

成人教育学への第一歩として良い本。心理学系の用語使用にミスがある(たとえばスキナーの「強化」を「教化」としたり)ので、心理学者に協力を求めるといいかもしれない。巻末の文献リストは、次に読むべき本の良い案内になっている。