KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【奄美→名古屋】「教育工学の梁山泊」

2022年11月26日(土)

きのうは、スカイマークで奄美空港から鹿児島空港で乗り継ぎ、中部空港に来ました。鹿児島空港での乗り継ぎは初めて(というか乗り継ぎはめったにないですね)。鹿児島空港はピカピカでした。そういえば来週末にまた鹿児島に来るんだった。

中部空港で降りたのも初めてでした。名鉄が乗り入れていて便利そうでした。そう考えると、私も所沢から引っ越すとしたら、羽田と成田の中間地点くらいにするのがいいのかなと思います(引っ越さないけどね)。成田はLCCがたくさん飛んでいて便利で安いからです。中間地点としては、船橋とか佐倉とか良さそうです。

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さて、わざわざ名古屋に来たのは、人に会うためです。鈴木克明さん(熊大)、余田義彦さん(同志社女子大)、清水克彦さん(東京理科大)と私の4人は若かりし頃、「教育工学の梁山泊」を自認していたのですwww。

日本では「梁山泊」は有志の巣窟を意味する代名詞のように使われる。たとえば明治初期、大隈重信の東京の私邸には井上馨、伊藤博文ら若手官僚が集まり政談にふけったため、「築地梁山泊」と呼ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/梁山泊 より引用

そんな4人も年齢を重ね、それぞれ定年の時期が近づいてきました。それで、久しぶりに4人で集まろうということになりました。この時期に教育メディア学会が名古屋(椙山女学園大学)で開かれているので、それに合わせて名古屋で集まろうということになったというわけです。

今夜は大放談が聞けそうです。

eスクールゼミ希望者の面談:eスクールに行き着くまでの物語

2022年11月22日(火)

2023年度の通学生ゼミ生は確定しました。一方、eスクールゼミ希望者の面談はもうしばらく1月上旬まで続きます。昨日までに5人の面談をしました。eスクールゼミ生も通学生ゼミ生と同じく来年度のゼミ生で最終となりますので、必ず2年間で卒論を仕上げるようにということが注意点です。

eスクール生は現役で働いている人がほとんどですので、面談で話を聞くのが楽しいです。その人がどのような経路をたどってeスクールに行き着いたのか、物語があるような気がします。たいていは複数の仕事を渡り歩いています。その意味では、マルチステージの人生を先取りしている人が多いのです。

私はといえば、学部卒業後2年間の会社員を勤めただけで、あとはずーっと大学教員ですので、マルチステージではないですね。その意味で、2年後の退職のあとの次のステージを楽しみにしているというわけです。

ps.
明日から奄美大島に2泊、名古屋に2泊の計4泊の遠征に出かけます。奄美はこの時期も20度超えの暖かな気候で楽しみです。

【ブログ】自分がどう見えるかは自分にはわからない:自己肯定感の幻想

2022年11月21日(月)

ときどき、自分のテニスのゲームをビデオに撮っています。実際に自分がどのようにボールを打っているかということは、自分ではリアルタイムに観察することができないので、ビデオに撮ったものをあとで見てみようというわけです。

で、それを見てみると、これが見事といっていいほど、自分のイメージとはかけ離れているのですね。自分の頭の中では「こんなふうに打っている」というイメージが確実にあるわけですけど、そのイメージとは似ても似つかないフォームで打っている「もうひとりの自分」がそこに映っているわけです。

でもこれは話が逆であって、ビデオに写っている自分が「本当の自分=事実としての自分」なのです。そして「自分についてのイメージ」つまり「自分はこうしているつもり」と考えているものは幻想にすぎないのです。

でも自分のイメージのすべてが幻想であるというのはいいすぎです。「自分の理想のイメージ」つまり「こうなりたい自分」については常に正しいといえます。

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アドラー心理学では、「理想の自分」と「現実の自分」とのギャップが劣等感を生み出し、それが成長のエネルギーになると考えます。しかし、実は「現実の自分」が実際のところどれほどのものであるかは、自分では正確に捉えられないと考えるのが自然です。正確に捉えるためには、自分のテニスをビデオに撮ってみるようなことをしなければなりません。

普通はそんなことはしませんので、自分の姿を知るために他人の評価や評判を聞いたりするわけです。しかし、それは他人の勝手なバイアスのかかりまくった評価ですので、まったくあてになりません。

万歩計のような活動メーターは、自分を知るための努力のひとつとして考えられるかもしれません。

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こんなふうに考えてくると、自分の強いところや良いところを見つけて「自己肯定感」を高めましょう、ということが嘘くさいということがわかります。実際の自分がどれほどのものかわからないところで、自己を肯定しようにもできないはずなのです。

そして、一気に結論に飛んでしまうなら、自己肯定感を得ようとするならば、自分をしみじみと観察するのではなく(それは幻想にすぎないのだから)、なんでもできることを実行するしかないということです。