KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

人生の正午

 どこで読んだのか忘れてしまったが、ユングによれば「40歳は人生の正午」であるという。なんだかこの言葉が気になって、頭の中で幾度となくリフレインしている。ぼくはまもなく40歳になる。

 どういう文脈の中にこの言葉があるのかが知りたくて、検索エンジンを使ってみる。千葉大学心理学教室のレポートを集めたらしいところにつきあたった(検索エンジンを使わなければこんな記事を見ることはなかっただろう)。オイカワさんという人の「ライフサイクルの臨床心理学」というレポートにこんな一節がある(オイカワさん、ありがとう)。

ユング(Jung,C.G.,1933)は、人生後半の人間の心の変化のプロセスを、衰退としてではなく、成長、発達としてとらえた。人生前半の人間の発達が、労働と愛によって社会的地位を築くためにあるとするなら、人生後半の発達は、それまで抑圧してきた自然な、ありのままの、本来の自分らしい自分の発見、個性化にあるという。

 なるほど、「人生後半は本来の自分を取り戻す時間」か。ユングはいいことをいっている。40歳以降の午後の時間は、たそがれ時ではなく、その時間こそが自分がやりたいことをやる時間なのだ。

 そういわれてみれば、確かにこれまでは目の前にある仕事をこなすだけで手一杯であった。さもなければ、何かにせき立てられるように(誰もせき立ててはいないのだが、そう思ってしまって)やるべきとされていることをこなしてきたような気がするのだ。「本当は、自分がやりたいのはこんなことじゃないんだけれどな」とちらっと思いながら。

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 だが、周りの人は、あなたが本心でどう思っていようが、どう考えていようが、「あなたのやったこと」だけで判断する。そして無責任な評価と無責任なアドバイスと無責任な期待をするのだ(元来あなたに対して責任をとらない人を他人と呼ぶ)。あなたはその無責任な評価とアドバイスと期待を耳にしては、右往左往する。考えてみれば滑稽な風景である。しかし、そうしたプロセスが「午前中のあなた」を作り上げる。これは事実である。

 自分が本当にやりたいことというのはたいてい具体的にはわからないものだ。具体的にわかっていれば、すでにそれを実行している可能性が高い。わからないからこそ、やれないのだ。

 そうした状況では、いろいろな考えを押しつけられたり、不本意な仕事を押しつけられたりすることは「午前中の自分」を作り上げる上では必要なことだ。そうしたことをこなしながら、「ああ、これは本当に自分がやりたいことじゃない」と判断する能力が培われる。むしろ困るのは「これは自分がやりたいことじゃない」という判断と拒否ができないで、そのまま行ってしまう人である。ロボットである。死ぬまでそれで行ってしまえばいいのだが、たいていはどこかで気がついて「私の人生をどうしてくれる」といって暴れたりするので、恐い。そのとき困るのは周りの人である。被害者は「他人」ではない身内のものになる可能性が高い。

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 こんな文章を書いているのは、「まもなく正午」の時期を迎えて、自分自身が迷っているからだ。書けば、心が整理されるし、自分のおかれた状況も客観的に見ることができるだろう。

 迷いは常に具体的なかたちで現れる(具体的でない場合は「不安」になる)。たとえば、就職活動をしていていよいよ会社が決まりそうになったときに「本当にこの会社でいいのだろうか?」。交際を続けている人といよいよ結婚しようかというときに「本当にこの人と結婚していいのだろうか?」。ひとつの職場でかなりの期間仕事をしてきたのだが、たまたま別のところから声をかけられて「本当に今の職場にいることを続けていいのだろうか?」。

 そうしたときに、人はたいてい自分を見つめないで、相手を見てしまう。世間の見方で、相手の評判や条件が良ければ決断をしようとする。自分の本当にやりたいことは何なのかがはっきりしないうちは判断できないのであるから、そのときは世間の評判によってしか決めることができないのである。しかし世間はあなたの決断に責任をとってくれるわけでは、もちろんない。

 本当に検討すべきことは、自分のことである。自分のやりたいことは何なのか、そしてそれをする上で相手は助けてくれるかどうか、良い環境を与えてくれるかどうかによって決断したらいい。自分のやりたいことが、同時に相手のためにもなることであれば申し分ないが、基本的には自分が本当にやりたいことを中心に考える(*)べきだ。

 (*)S. コヴィーの『7つの習慣』(キング・ベアー出版、1996)では、この「自分が本当にやりたいこと」を知る上でミッション・ステートメント(個人的憲法)を書いてみるのがいいと提案している。そうすると自分の生き方が何を中心にしているのかが明確になる。家族か、お金か、仕事か、所有物か、遊びか、友人か、宗教か、自分自身か。

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 というわけで、今一生懸命自分自身と対話している。その合間に、この文章を少しずつ書いた。そして結論は出る。