KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

この4年間を振り返る(1998年)

なんだか急に思いついて、この4年間を振り返りたくなった。自己紹介のページが1997年で終わりになっているからだ。その後を書いてみよう。

人生の正午に初めての子供(1998年)

人生が80年くらいだとすると、40歳はちょうど中間地点にあたる。ユングはこれを「人生の正午」と呼んだ。その意味するところは、人生の前半が生活の基盤を固めるための時間だったのに対して、人生の後半は抑圧から解放され、自分らしいありのままの生き方をするということにあるらしい。

そう考えると、人生の正午の時期に初めての子供を授かったのは、試練であるとも言えるだろう。これからありのままの生き方をしようというときに、子供の世話に制約された生活をしなければならないのだから。確かに子供を育てるということはしんどいと思うこともしばしばあった。それでも、やはり子供はかわいい。育つ喜びもある。それに、人生の午前の時期に私はほとんど自由気ままにやってきたのであるから、いまさら「自分らしいありのまま」の時間でもあるまい。

この年の7月に日記猿人(現在の日記才人)に登録して、ほぼ毎日Web日記を書くようになった。それ以前にも、chiharuNewsという名前でときどきエッセイのようなものをWebに書いていた。しかし、「基本的に毎日書く」ということは小さな違いのようでいて、圧倒的な違いになる。それは変なたとえかもしれないけれども、「Webを自分の窓口にする」という感覚から「自分自身がWebの中に住む」という感覚への変化なのだ。

Web日記を書くようになってから、その自分の行為自体を研究者の視点で見るようになった。いわば、自分を対象としたフィールドワークである。だから、原稿を依頼されると、ストーリーをねじまげてでも、話題をWeb日記に持っていった。このころの原稿にはそうした妙な力の入れ方が見て取れる。なんといっても自分自身が実験台なのだから力も入るわけだ。しかし、それが研究のレベルまで到達しているかというとどうなのだろうか。判断は難しい。

とはいえ、これが発端となって、こうして今もまだWeb日記を書いているわけだ。まったく「ごくろうさま」としかいいようがない。しかし、何か変わったことがあるかというと、自分のWeb日記を振り返って良く読むようになったということだ。それはたいていは「昔も同じことを考えていた。進歩がない」という落胆を招くものだ。それでも自分の考えを外在化することで、少しは再検討することができる。