KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ゾンビ抹殺ゲーム(後)

 さて次は何をしようかと考えていると、セガがやっている大きなゲームセンター「ジョイポリス」がある。「ここ、はいってみる?」と聞くと二人は大喜びで、いこう、いこう、と言う。IMAXを怖がっていたのに、ジョイポリスは怖がらないのか?といささか解せない感じが残ったが、ここは入るだけなら、大人300円、子供100円なので、残り所持金が少なくなっていた私にとってはありがたい選択である。

 行列を作っているゲームは素通りして(しかも、それは一回500円以上もするので)100円で遊べるものを中心に、やっていく。その中で、私も含め、3人が最もハマってしまったのが「ゾンビ抹殺ゲーム」である。正確な名称は知らないので、こう名付けておく。

 ゾンビ抹殺ゲームは、一人単独かあるいは二人で協力して、次々と現れてくるゾンビや怪物をピストルで撃ち殺していくゲームである。ゾンビはピストルの弾一発では倒れない。頭を狙うと効率よく倒せるが、ぐずぐずしているとこちらがやられてしまう。いかに正確に速くゾンビを撃つかがポイントだが、ピストルの弾は6発撃つとなくなり、そのときは画面の外を一回空撃ちすることによって弾が充填される。このしくみは良く設計されていて、弾の数をモニターするだけの冷静さをプレーヤーにうまく要求している。また、画面内で普通の人間に襲いかかるゾンビだけをうまく倒して、人間を救い出すとボーナスがもらえる。反対に人間を誤射してしまうとマイナスである。

 このゲームにハマった。特に二人で協力するとチームワークで妙な一体感が得られる。なかなか倒れないゾンビを、これでもか、これでもか、と銃撃することに熱くなる。弾が当たるたびに、もともとぐちゃぐちゃの形をしたゾンビがますますぐちゃぐちゃになっていくのを見るのも快感である。人間とゾンビが交錯している場面で、ゾンビだけを正確に撃ち、うまく人間を救い出せば、よくやった、という感じがわいてくる。銃を撃つのは人間を救うためだ、という道義的文脈を織り込んで、うまく作られたゲームだ。

 しかし、と思う。冷静になって考えてみると、このゲームには問題点がある。それは、どんな正義の文脈をもってこようとも、このゲームは「やられる前にやれ」という行動を強化しているということだ。ゾンビは完全な悪なのだから撃ち殺して良いのだという予防線を張ってはあるが、現実の世界には、狂信の世界を除いては、完全な悪などない。そこを完全に単純化してしまうことで、誰でも理解でき、人を引きつける力強さを備えた。単純なために力強い。しかし、このゲームが推奨する行動は「撃つときは頭を狙え、それ以外では効果は薄い」である。万に一つの確率で自分が本物のピストルを握らなくてはならないとき、「相手の頭を狙え」というプログラムが起動される確率は高い。考えすぎだろうか?