KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

銃乱射事件とバイオレンスゲーム

先週,ウェストパドゥカ銃乱射事件で殺害された生徒の家族が,任天堂セガ,そしてソニー・コンピュータエンタテインメントなどを含めた25の被告を相手取り,1億3000万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしている。
原告側は,被告の製品は未成年者の心を崩壊させたと主張している。コンピュータゲームは「(犯人の)Carnealに(中略)殺害能力を抑えるのに必要な,抑制あるい責任を教えることなく標的に向けて銃を打つことを教えた」(原告側)という。

  • zdnet 99/4/23のニュースより

 心理学者は、暴力事件や銃乱射事件を起こした人に対する、テレビや映画、テレビゲームの直接的な影響あるいは因果関係については慎重である。ある種のバイオレンスゲームがあらゆる人の残忍性を増加させるかどうかというような単純な実験を想定したとしても、一貫性のある結果は得られない。つまり、ある人はバイオレンスゲームをしたことにより残忍性を増すかもしれないが、別の人にとってはまったく影響がない。

 しかし、ひとつ言えることは、こうしたバイオレンスゲームをすることによって、たとえば「相手の頭を狙って銃を撃つのが最も効果的である」というような「行動プログラム」はそのプレーヤーにたたき込まれるということだ。その危険性については1998年7月24日の日記「ゾンビ抹殺ゲーム」にも書いた。その行動プログラムが発動されなければ問題はない。ほとんどの人にとって問題は起こらない。それはひとときのファンタジーであり、目眩系の遊びにすぎない。しかしプログラムは獲得された。その証拠に、次におなじようなゲームをすれば、迷わず相手の頭を狙う。

 最初に引用したニュースによれば、原告は「製品が未成年者の心を崩壊させた」と主張しているという。これもまた証明するのは難しい。たまたますでに心が崩壊していた人がゲームをやっていたかもしれないからだ。しかし「ゲームは抑制なしに標的を撃つことを教えた」というところまで限定すればどうだろうか。これに反論するのはかなり難しいのではないか。

 当然、ゲーム会社は、事件の直接的な原因として、犯人の精神状態、病気、特定人物や思想への傾倒、銃管理の甘さ、親の監督責任、学校の監督責任などを並べ立てるだろう。そしてゲームは直接的原因になり得ないと主張する。おそらくそうだろう。バイオレンスゲームをした人全員が暴力的になるわけではない。しかし、万が一その人が暴力的になったときに「その方法を教えた」のがゲームであったとしても不思議ではない。