KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

仮想現実 対 現実的仮想

 98年9月6日付の読売新聞の「人生案内」欄の相談は次のようなものだった。

  • (相談者:40代の会社員)妻がインターネットで知り合った若い男と熱烈なメールを交換しているのを知って、逆上して妻に暴力を振るってしまった。妻が実際にデートしているわけではないが、そうしたメール交換をしているのかと思うと耐えられない。

 これからはこんな相談が増えていくのだろう。すでにインターネット中毒という言葉すら出回っている。これに対して、人生相談の回答者はなにやら歯切れの悪い回答をしている。

  • あなたの妻が夢中になっているのも(中略)コンピュータの仮想現実の中にいる若い男とは言えないでしょうか。

 仮想現実か。なんだろうねこれは。ここには現実だけが現実であるという揺るぎない確信があるんだけれども、仮想現実が現実以上のパワーを持つことを知っているはずの映画監督である回答者のことばとは思えない。

 たばこを吸わない人がいかに禁煙の方法を説いてみても、誰も真剣に聞こうとはしないだろう。同様に一度もネットワークの世界にのめり込んだ経験のない人がネットワークのことを説いたとしてもそれは聞くに値しない。

 ネットワークの世界に一度のめり込んだ人は、ネットワークの世界と現実の世界とがお互いに反転可能であることを知っている。それはあたかも心理学の逆さメガネに似た体験である。逆さメガネとは、プリズムを利用した実験用のメガネで、上のものが下に、下のものが上に見えるようにしてある(左右反転メガネもある)。このメガネをかけると、慣れるまで気持ち悪いし(実際吐くこともある)階段を下りることすらままならなくなり危険でもあるが、メガネをかけ続けることによって、自分の知覚システムが順応して日常生活を支障なくできるようにまでなる。つまり上下反転の世界が再体制化されて、その人にとっての現実になる。

 ネットワークの世界を仮想現実と呼ぶのであれば、現実の世界は「現実的仮想」であるということができる。つまり、40代の会社員とその妻は物理的には同じ屋根の下に生活しているわけだが、知覚者としてはもはや別々の世界に生きることになってしまったのである。別の知覚世界に住む二人が一緒の物理世界に住んでいることを「現実的仮想」と呼んだ。

 ただこの二人の間で決定的に違うことは、この妻はその気になれば現実とネットワークの世界との両方を相対的に見ることができるのに対して、夫は現実というたった一つの知覚構成物に束縛されてしまっているということだ。一度知覚を反転させることを覚えた人はもう元には戻らない。そのことをこの夫は想像すらできないのである。