KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

プログラムを書く教員

 10月から大学の後学期が始まるので、そろそろ授業の用意をしなくてはならない。授業を担当していて一番しんどくて楽しいのは、この時期に授業についてあれこれ考えることである。いったん授業が始まってしまうと、あまり楽しいと感じる余裕はない。

 授業の設計をすることはプログラムを書くようなものである。そして授業をすることはそのプログラムを実行するようなものだ。教師には、プログラムを書くことに喜びを見いだす人と、プログラムを実行することが楽しい人の2種類がいるようだ。作曲家と演奏家のようなものだ。プログラムにしたがって実行するとはいってももちろんさまざまな条件によって進め方の調整はする。しかし全体としてはプログラムにしたがう。今全国の大学で流行しているシラバス(授業詳細説明)というのは実はプログラムである。

 授業プログラムは、データ(リソース=学習資源)とアルゴリズム(授業方略)からなる。授業方略は、伝統的なレクチャースタイルから、グループ作業、討論、発表・・などそれほど多くはないがバリエーションがある。それらをいろいろと取り合わせてプログラムを作る。

 データとアルゴリズム以外に必要なのは、授業の目的と評価方法である。目的を決めることにより、評価方法も決まるのでこの二つはワンセットである。授業設計をする前に評価方法を具体的に決めていくのはシステム的な教育工学アプローチの特色だ。授業の目的というとどうしても抽象的な言葉の羅列になってしまうので(たとえば「○○について考える力をつける」とか)、その目的が果たされたかどうかを確かめるのにどういうテスト(あるいは発表、レポート)をするのかということを決めておくことが必要なのだ。

 橋爪大三郎朝日新聞(1998年8月18日)で、「これでなくせる大学入試」というプランを提示している。そこでは、定員数しか入学させず、定員数を卒業させるという文部省の強い指導が結局大学をレジャーランド化させた原因であるとして、「学生定員廃止→多めに入学させ、期末試験でふるいにかける(キックアウト)」というシステムを提案している。これを実現するためには、まず教師が適切な評価の方法を身につけることが必要だ。しかし大学教員の大部分は教育工学(あるいは教育心理学)を学んでいないか、忘れ去っていまっているので、相変わらずレポートを書かせるだけ(しかも読まない)という方法が主流である。