KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

警察はネズミ捕りをやめて欲しいと一納税者は思う

 きのう、ネズミ捕りにひっかかった。レーダーによる速度違反検挙だ。朝8時を少し過ぎたころ、いつもの通勤路を急いでいた。なんということはないまっすぐな道だが40キロ制限。立体交差して橋の下のようになっているところから三角の「止まれ」の旗を出して警官が飛び出してきた。急ブレーキをかけた。「15キロオーバーです。免許証を持ってこちらへ」富山に来てからこれで3回目だろうか、ネズミ捕りに引っかかるのは。いつでも40キロ制限の道でのレーダーだ。

 「55キロだなんて、そんなに出していないよ」と一応抵抗する。
 「機械がそう出してますから」
 「機械には必ず誤差があるもんなんだよ」
 「誤差はあるにしても高い方には出ないように調整してあります」
 「・・・しかし通勤時間にレーダーはやってほしくないね。ここを通る人はみんな会社に急いでいて、40キロ以下で走る人はいないですよ。迷惑だしね」
 「・・・」
 「レーダーやるときはやっているって言ってくれないかな」
 「場所を公開しているものあるんですが、ここは非公開ですんで」
 「よっぽどヒマなんだね。こんな台風の日に」
 「雨でも、毎日どこかでやっとるわけです」
 「えっ、毎日やってんの?」
 (誇らしげに)「そうです」

 一人の納税者として思う。警察はレーダー購入の予算と人件費をかけてネズミ捕りを仕事とすることをやめて欲しい。冷静に見てこれは意味がない。意味がないどころか警察の評判を下げるだけの効果しかない。それを説明する。

 ネズミ捕りには事故を防いだり、暴走を防いだりする抑止力がない。真夜中の暴走を野放しにしておく一方で、ネズミ捕りにかかるのは善良な市民である。もしネズミ捕りを続けるならば、警察にはその抑止効果を証明するデータを出してほしい。たぶんそんなデータはないだろうから提案しておく。ある県で一年間ネズミ捕りを一切やめる。それで事故・違反件数が有意に増えれば抑止力はあると見なせる。しかし、他県と比べて変化がなければ抑止力はない。

 ちなみに富山県はこの際、「ネズミ捕りのない県」を宣言したらどうだろうか。県内への移住人口はきっと増える。流出人口に悩んでいる富山県にとっては、一考に値すると思うが。

 次にネズミ捕りは卑怯な方法である。だましうちである。レーダーの横の草陰に身を隠すような姑息な行為を警官がやるとは、プライドを自ら捨てているとしか思えない。君らはそんなことをやるために志願して警察官になったのか?

 また、ネズミ捕りはルールを公平に適用していない。つまり、ある日のある場所のある時間帯の違反者を検挙するだけである。速度違反で捕まった人はルールを破ったために捕まったのではなく、運が悪かったので捕まったのである。別の日にそこを速度超過で走る車が捕まらないのは明らかにフェアではない。偶然によってある人を罪人にし、別の人をほうっておくのは誰が見ても不公平である。警察は不公平なことをしてはならない。

 はっきりいって警官は国民から愛されていない。それは似た職業である消防士と比較してみればはっきりわかる。警官には「おまわり」、「サツ」、「ポリ公」、「マッポ」などの蔑称があるのに、消防士にはない。警官は愛されているどころか憎まれている。テレビでいくら「人情おまわりさん」のドキュメンタリー番組を流してもダメである。消防士のドキュメンタリーは涙を誘うのに、警官のドキュメンタリーはせいぜいコメディくらいにしかならないのだ。

 未解決事件が長引けば、警察は無能呼ばわりされ、批判にさらされる。その根底には、市民から違反金をむしり取る一方で、強大な悪やずるがしこい悪には手も足もでないといういらだちがあるということに、彼らは気づいていない。彼らは「一生懸命やっている」という。確かにそうだろう。しかしそんな「警察」と、姑息なネズミ捕りをやっている「警察」も市民にとっては同じ「警察」なのだ。試しに「今日から全国で一切のネズミ捕りをやめます」と宣言してみたまえ。国民の警察を見る目の暖かさは確実に5℃は上昇する。

 彼らは毎日どこかでネズミ捕りをしているという。我々の税金をそんなことに使われるのはイヤである。すぐにそんな効果のないことをやめて、そのマンパワーを未解決事件に注ぐべきだろう。そういうことを監視する機構が納税者の側にないものか。

 こんなことを夢想する。間もなく交通安全週間が始まるというから、その日を合図に一斉に全国で全ドライバーが制限速度を守る。おそらく渋滞はひどくなり、コンビニの配達は遅れ、部品や材料の調達もままならなくなり、全体の生産性や消費量は1-2割は落ち込むだろう。それを続ける。不況対策に悩む政府が「どうか制限速度を守るのはやめてくれ」というまで続ける。制限速度そのものが非常識であり、警察のネズミ捕りという行為がパターナリズム(父権的おせっかい介入行為)の典型であるということが、政府と警察に十分わかるまで、それを続ける。