KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

アウトライナー再び

 「毎日の記録」さんが、10月2日付の日記のなかで、先日私の書いた「アウトライナーはなぜ使いものにならないか」についてコメントを書いてくれている。ありがとうございます。

 英語の科学論文については、構造のしっかりした文章で書かれることが必要条件であり、そうした場合にはアウトライナーがうまくフィットするというのはおっしゃるとおりだと思う。日本語の科学論文についてもまったく同じことが言えると思うのだが、論文の査読をさせてもらうと、構造(章立てや見出しなど)は非常にしっかりしているのに、肝心の本文をいくら読んでも理解できないことがある。ひょっとすると、「トピック文を中核にして、文をつながるように並べてパラグラフ(段落)を作る」というところでの論文作者の合意ができていないのかもしれないなと思う。考えてみれば、科学論文の構成は「投稿の手引き」を見れば、できあいのテンプレートがたいていあるわけだから、構成はきちんとできて当然なのである。通常の科学論文は「IMRaD」つまり「Introduction, Method, Results and Discussion(はじめに、方法、結果、考察)」の骨格が決まっていて、領域によってバリエーションはあるにしてもこれは基本である。となればやはり問題は文章の作り方だ。

 文章の書き方を習得していない人はいくらアウトライナーを使ってもだめだし、逆に、頭のなかでアウトライナー的な構成ができるように熟達した人にはもはやアウトライナーは不要である、とも「毎日の記録」さんは言っている。逆説的で面白い洞察だと思う。つまりは「ソフトの使い方を教えることと、そのソフトを使ってどんなものを作り上げるかはまったく別のことだ」という冷静に考えればまったく当たり前のことなのだ。そこらじゅうで、Word教えますとか、Excel教えますとかいっている人たちに聞かせてやりたい言葉である。そういうことは、トンカチ教えますとか、ノコギリ教えますというのとあまり変わらないこっけいさに人々はまだ気付いていない(そういえばホームページ教えますなんてのもあるな)。まず教えられるべきは設計図の引き方であろう。まあ、ノコギリをひいているうちになんか作りたくなってきたというようなことが起こりうるということは否定しないけれども。

 熟達してしまえば、アウトライナーのような支援ソフトは不要だ、ということには(心理学徒としては)同意するのだが、しかし、それでも私は「エディタの代わりにこれを使って書くと自然に良い文章が書けてしまうのですよ」というようなソフトが欲しいと思う。それが工学の考え方である。心理学には「どんなことでも5000時間をそれに費やせばプロ級の腕前になる」という法則(経験則)が知られている。だから1日1時間を日記書きに費やしたとして、15年間それを続ければ日記書きの達人になれることが保証されている(それはその日記を読んでもらっていくらかの金が取れるレベルになるということである)。工学は、普通なら5000時間かかるところを、それを使えば1000時間ですんでしまうような道具を作り出そうとする学問である。工学に限らず、教育もまた、5000時間かかるところをいかにして時間短縮するかについての試みという側面を持っている。つまりアウトライナーなしで構成のしっかりした文章を書ける技能を、どのようにしたら5000時間よりも短い時間でつけさせられるかということが焦点になる。

 私がにらんだところによると、わかりやすく、構造のしっかりした文章を書くには、トピック文とパラグラフの意識がキーポイントだと思う。またこれは木下是雄さんの著作(『理科系の作文技術』だったか中公新書)でも以前からいわれていることだ。ここらへんのことを外部仕様書にまとめてみようかな。もしよかったらどこかの会社か個人でソフトを作ってもらえませんか? そう難しいことじゃないと思うのだけれど。名付けて「良い文章作りエディタ」。