KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

締め切りを守れないとき

 ちはる度テストの中に「締め切りを守れる/守れない」という質問項目があった。これは「守れる」と答えた方が「ちはる度」が高いのである。そう、私は締め切りだけは守る人なのだ。締め切りを守るためならば、内容が納得いかなくても仕方ないと思うタイプである。よく、もう少し時間があればもっといいものができたんですがね、などといいつつ、それでも締め切りを一ヶ月くらい過ぎて作品を出してくる人がいるけれども、そういうことは死んでもしない私である。

 「もう少し時間があれば」と言う行動は、社会心理学でいう「セルフ・ハンディキャッピング」である。つまり、自分にハンディを与えて、本来の自分の実力はこんなもんじゃないんだけど、時間が足りなかったのでこの程度になった、と言い訳しているわけだ。そういう言い訳をしたくないと思う。いくら時間をかけてもこんな程度だろうと自分で思っているのかもしれない。あきらめがいいともいえる。

 そんな私であるが、今月末締め切りの原稿は締切に間に合いそうにない。まだ1文字も書いていない。「がくもん度」ゼロの状態が続いている。やはり、母校のかつての指導教授が退官する記念に紀要論文を提供してほしいという依頼を受けなければよかった。こういうときにはどんな内容のものを書けばいいのかわからないのだ。どうせなら「○○先生の思い出」というような文集を作ればよかったのに。なまじ紀要への論文なので苦労する。エッセイのようなものであれば、どんなに気が楽だったか。

 とにかく何か書かなくてはならない。査読もないだろうから、最近思っていることなどを書いてみることにする。レビューをする時間もないし、かといって細かいデータを出してあれこれいじくるのも、何かそぐわない感じもする。要するに何を書いていいのかよくわからないので、ここまで遅れてしまったというわけだ。たいてい仕事が遅れるときは、こんなふうに、最終的な成果の形がはっきりとイメージできないということによる。