KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記猿人の100チャンネル時代

毎日毎日確実に登録日記の数だけは増えていくけれど、肝心の日記を読むための時間というものは自ずから限られているはずで、こうも増えると最早ひとりの人間の限界を越えてしまったようで、特に古くから日記を読んでいるような人ほど、いまの日記猿人の状況にどことなく疎外感みたいなものを感じる (BOWDO, 98.12.18より)

 日記猿人に古くからいる人ほど、こういう感情が強いかもしれない。自分たちが手作りで育て上げてきたものが知らない間にどんどん大きくなって、もはや自分の身の丈を超えてしまったような少し寂しいような感情。パソコン通信のフォーラム立ち上げなどに関わった人々でこうした感情を味わった人もけっこうたくさんいるのではないか。しかし、そうしたコミュニティが日々大きくなるということは、自分たちの直観と仕事の方向性が間違っていなかったということを証明するものだ。だから、それに関わった人たちは大いに誇りに思ってよい。

 私自身は今年の7月に日記猿人に登録したばかりなので、気分的にはまだ「新人」だ。だからといっていいのか、コミュニティへの帰属意識はそれほど強くない。それがかえって自分にとっては居心地がよい。コミュニティ・メンバーというよりはユーザーという意識に近いからだろう。

 今週取り上げているCS放送になぞらえて言えば、日記猿人も「10チャンネル時代から100チャンネル時代にはいった」という比喩ができるかもしれない。つまり、一人の人間が把握できる程度の数量の日記エントリーだった時代から、タイトルを一通りスキャンするだけでも時間がかかる時代にはいったということだ。しかし、これは悪いことではない。むしろ画期的なことだと思う。あとは自分のお気に入りの日記が面倒なく読めたり、面白い日記をピックアップしてくれるユーティリティを充実させていくのが課題になる。こういう状況では、日記レビューの役割がますます重要になってくるだろう。