KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

シミュレーションの意味

ニュートン力学の世界をシミュレートする教育ソフトで「インタラクティブ・フィジクス」というのがある。ドロー・ソフトの感覚で物体を描いて、それに力を加えたり、別の物体にぶつけたりしたときにどういう運動が起こるかを見せてくれるものだ。その時に物体に働いている力を矢印で描いてくれるという機能もある。面白いのは、空気抵抗を設定するオプションもあって、これを使うと空気抵抗の大きい平べったい物体とそうじゃない丸い物体を同時に落とすと、平べったい方がゆっくり落ちる。

——力学の教材として使ったら面白そうだね。こういう場合にシミュレーションの教育力というのは大きい。

それで、ちょっと話は跳ぶようだけど、「愚一記」(6/12)にこんな一節があった:

学校教育での社会科というのは、ひとことで言えば「効率良く人生経験をさせるシステム」なのだろう。地理では社会の空間的なバラエティ、歴史では時間的バラエティを経験し、政治経済では大人の仕事(社会の運営も含めて)のシミュレーションをし、倫理社会ではふと立ち止まって考える。だから、小学校を出たら20年間、職業を転々としながら世界各地を遍歴する、ということができれば、学校で社会科を教える必要はない。

逆に言えば、社会科の授業の成否は、教室と言う何もない空間の中で(教室でなくても良いが)、どこまで生徒にリアルな人生経験をさせられるか、というところにかかっている。

社会科についてのこうした見方はすごく新鮮。こういう考え方で社会科を習っていれば、私の人生は違ったものになっていただろう。

——君の中学高校時代は、社会科が苦手だったね。

そう。まず年号がダメ。人名がダメ。地名がダメ。そんな昔のこと、どうでもいいじゃん。そんな遠い国のこと、どうでもいいじゃん。そんな感じだったから。

——社会科のシミュレーション・ソフトはないの?

ある。ちょっと名前は忘れたけど、世界一周の旅行をしながらいろいろな国の地理や歴史や文化を学ぶソフトを見たことがある。

——シミュレーションだけで世界をわかったつもりになるのは危険だが、逆に世界旅行をしてもその歴史や文化の背景を知らなければ見えてくるものはとても限定されるだろう。

まさに、それがシミュレーションの意味だね。素朴な状態では見えないものが、見えてくるということ。力学のシミュレーションでも、地理のシミュレーションでもその本質は同じことなのかもしれない。