KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記のコヒーレンス

 人文学部の先生から、統計について教えて欲しいということで訪問を受けた。その人は、日本の大学生とデンマークの高校生との間で、電子メールを英語で交換する授業をしている。そのメールを数量的に検討したいということだ。

 最初は、検定を手伝ってあげるだけならおやすいご用と思って、話を聞いていたのだが、その分析内容にも興味を覚えてしまった。コヒーレンスを問題にしたいのだという。コヒーレンス(corehence)というのは、日本語ではどんな用語を当てればいいのだろうか、一貫性というか凝集性というか、つまり、それぞれの要素が互いに強く結びつき合った状態のこと。

 たとえば、次のような文章:

  1. こんにちは。
  2. きょうは暑い一日でした。
  3. 夕方には雷付きの夕立までありました。
  4. 晩ご飯はカレーでした。
  5. 私は辛いカレーが大好きです。
  6. 特にタイカレーが好きです。

 1.と2.の文章は直接関係がないけれども、2.と3.とは同じ天気の話題だ。3.と4.は関係がなくて、4.と5.と6.とはカレーの話。ということで、6つの文からなる上の文章は、「あいさつ」、「天気」、「カレー」の3つのトピックからなっている。平均すると1トピックに対して、6/3=2個の文を使用していることになる。これを「トピックあたりの文の数」と呼ぼう。つまり、ひとつの話題を書くのに、どれくらいの文を費やしているかということだ。

 この観点から、日本人が書いたメールとデンマーク人が書いたメールを比較する。そうすると、トピックあたりの文の数は、デンマークのメールの方が有意に多い。日本人が書くメールには、極端な場合には、トピックあたりの文の数が1になるものもある。これはたとえばこんな文章だ:

  1. こんにちは。
  2. 今日は暑い一日でした。
  3. 私は辛いカレーが好きです。
  4. 空を飛ぶ夢を見ました。
  5. デンマークにも夏休みはありますか?

 これは、コヒーレンスがもっとも低い文章の例になる。つまり一目見てばらばらの文章。一文ごとにトピックが変わっている。日本語ではこんな文章は書かないだろうが、英語で書くとこんなふうになってしまう場合もあるようだ。

 コヒーレンスということから、木下是雄さんのことばを思い出す。それは、ロジカルな文章とは、上から下へすらすらと読め、理解できる文章のことだということだった。コヒーレンスの高い文章というのは、ある文から次の文へのつながりが強いということだから、理解しやすい文章になり、自然とロジカルなものになるはずだ。

 良い文章を書くには、という話題になると、用語の使い方や、助詞の使い方や、言い回しといったことに目が向きやすいけれども、もっと大切なことは、話題の展開の仕方だと考えている。ひとつのトピックをこれでもか、これでもかと読者を屈服させるまで書き尽くすということが、我々は苦手なように思う。逆に、重要なことはさらりと言って、余韻を残すのがいいのだという伝統的価値観が残っているようだ。こうした伝統に対して、コヒーレンスという観点を導入することで、日本語の文章が変わるような気がする。

 日記というのは、いろいろな出来事を書き留めておくという性質もあるので、普通のエッセイに比較すればコヒーレンスは低くなるはずだ。実際、Web日記にもコヒーレンスの低いものから高いものまである。Web日記を、この尺度で分類してみるのも面白いかもしれない。